『積みわら』からの連作とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『積みわら』からの連作の意味・解説 

『積みわら』からの連作(1890年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:30 UTC 版)

クロード・モネ」の記事における「『積みわら』からの連作(1890年代)」の解説

1880年代終わりから晩年にかけてのモネ作品は、ひとつのテーマさまざまな天候や、季節光線のもとで描く「連作」が中心になる。同じモチーフ複数絵を描くという手法は、中近世の月暦画やミレー四季連作のほか、モネ愛好していた葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』といった浮世絵から発想得た可能性があると考えられている。 モネ1890年しばらくの間旅行諦め借地だったジヴェルニーの家を購入し自宅周り積みわらを描くことに集中した1880年代末にも何点かの積みわら描いていたが、1890年後半から1891年にかけては、『積みわら』の本格的な連作25点を制作したモネは、1890年10月友人ジェフロワに、次のように書いている。 積みわらさまざまな光の連作夢中なのですが、近頃は日が早く沈むので、追いつくことができません。しかし描き進めに従って、私が求めているもの――「瞬間性」、とりわけ物を取り囲む大気と、至るところに輝く均一な光――を表現するためには、もっと努力しなければいけないことが分かるのです。 『積みわら』は、一般的にモネ最初連作とされており、ブッソ・ヴァラドン商会1891年モネから1枚3,000フラン3点購入したカミーユ・ピサロは、息子リュシアン・ピサロの手紙の中で「みんなモネ作品しか欲しがらない。……みんな『日没積みわら』を欲しがる。……彼が描いたものは全部、4,000フランから6,000フランアメリカ売られていく」と記している。ピサロは、モネ連作商業主義よるもの見て批判的であったデュラン=リュエル画廊でも、同年5月、『積みわら15点展示され大きな反響呼んだ。 『積みわら夏の終わり1891年油彩キャンバス、60.5 × 100.8 cmオルセー美術館(W1266)。 『積みわら夏の終わり1890 - 91年油彩キャンバス60 × 100.5 cmシカゴ美術館(W1269)。 『積みわら日光効果1891年油彩キャンバス、65.4 × 92.1 cmメトロポリタン美術館(W1279)。 『積みわら日没1891年油彩キャンバス、73.3 × 92.7 cmボストン美術館(W1289)。 『積みわら日没効果1890 - 91年シカゴ美術館(W1278)。 『積みわら』に続き1891年春から秋にかけて、エプト川近くのリメツ沼の岸辺で、『ポプラ並木英語版)』の連作23点制作した構図は、7本のポプラと、3本ポプラのものに限定されており、連作並べて展示意図したもの考えられる。ブッソ・ヴァラドン商会のモーリス・ジョワイアンが1892年2月に数点を購入してモンマルトル大通り英語版)で展示し同年3月にはデュラン=リュエルが15点ほどを展示して成功収めた1891年アリスの夫エルネスト・オシュデ死去すると、1892年7月16日モネアリス結婚した。 『エプト河岸ポプラ並木1891年油彩キャンバス、100.3 × 65.2 cmフィラデルフィア美術館(W1298)。 『ジヴェルニーポプラ並木曇り空1891年油彩キャンバス92 × 73 cmMOA美術館(W1291)。 『陽を浴びポプラ並木1891年油彩キャンバス93 × 73.5 cm国立西洋美術館東京)(W1305)。 1892年1893年ルーアン大聖堂訪れ西側正面建物中にイーゼルを置き、『ルーアン大聖堂』の連作30点を制作した1892年4月アリス宛てて次のように書いている。 毎日、まだ見ることができなかった何かを発見し付け加えている。実に苦労は多いが、進んでいる。〔……〕僕は疲れ切ってしまった。もうだめだ。〔……〕ある夜、悪夢うなされた大聖堂が僕の上崩れ落ちてきたんだ。青やバラ色黄色の石が降ってくるのが見えた1895年初頭には、ノルウェークリスチャニア(現・オスロ近郊のサンドヴィケン(英語版で、コルサース(英語版)山などの風景画制作したモネは、デュラン=リュエルに『大聖堂1点につき1万5,000フラン要求し最終的に1万2,000フラン落ち着いた1895年5月デュラン=リュエル画廊の「モネ近作展」で『大聖堂20バージョン展示され注目浴びた。ここでは、ノルウェー風景画8点展示された。 1896年1897年の冬は、プールヴィルヴァランジュヴィル再訪し、断崖の上小さな家描いた10点ほどの作品制作した1898年6月1日ジョルジュ・プティ画廊で、これらノルマンディー作品と、ジヴェルニー制作したセーヌ川の朝』連作展示した。なお、1897年長男ジャンと、アリスの娘ブランシュ結婚したモネジヴェルニーで、夏は太陽が出るずっと前に起床しセーヌ川支流風景描きにいくという日課守っていた。早朝、物が色づき始め時間帯に、朝靄効果とらえた作品続けて制作し1898年6月ジョルジュ・プティ画廊個展にこれらの作品17点出品して成功収めた当時依然としてアカデミーからの敵視根強く1894年亡くなったギュスターヴ・カイユボットが、マネドガピサロモネルノワールセザンヌなどの名品を含むコレクションフランス政府遺贈したが、アカデミー反対に遭い論争の的となったアカデミズム絵画泰斗ジャン=レオン・ジェロームは、「ここには、モネ氏、ピサロ氏といった人々作品含まれていないでしょうか? 政府こうしたごみのようなものを受け入れたとなれば道義上ひどい汚点を残すことになるでしょうから」と述べた。しかし、1896年にようやく、モネ作品8点含めコレクション一部国立リュクサンブール美術館収められ公的な認知進んだことを示した。 『ルーアン大聖堂ファサード日没)』1892 - 94年油彩キャンバスマルモッタン・モネ美術館(W1327)。 『ルーアン大聖堂日没灰色ピンクシンフォニー)』1892 - 94年油彩キャンバス100 × 65 cmカーディフ国立博物館(W1323)。 『ルーアン大聖堂、西ファサード陽光1894年油彩キャンバスナショナル・ギャラリーワシントンD.C.)(W1324)。 『コルサース山』1895年油彩キャンバス65 × 100 cmマルモッタン・モネ美術館。 『ヴァランジュヴィルの税官吏小屋1897年サンディエゴ美術館英語版)。 『ジヴェルニー近郊セーヌ川支流フランス語版)』1897年油彩キャンバス、73.2 × 93 cmオルセー美術館(W1487)。

※この「『積みわら』からの連作(1890年代)」の解説は、「クロード・モネ」の解説の一部です。
「『積みわら』からの連作(1890年代)」を含む「クロード・モネ」の記事については、「クロード・モネ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『積みわら』からの連作」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『積みわら』からの連作」の関連用語

『積みわら』からの連作のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『積みわら』からの連作のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのクロード・モネ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS