「ラインゴルト型」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 03:09 UTC 版)
「ラインゴルト (列車)」の記事における「「ラインゴルト型」」の解説
「de:TEE/IC-Wagen (DB)」も参照 西ドイツ国鉄は1962年から63年にかけてラインゴルト、ラインプファイル用に新型の客車を製造した。この形式は「ラインゴルト型」とも呼ばれ、ドイツにおけるTEE、インターシティ用客車の標準となった。のちに車体の仕様はほぼ共通ながら台車を200km/h運転可能なものにした車両に置き換えられている。1976年までラインゴルトにはドーム屋根の展望車や厨房部分が2階建てになった食堂車など特徴的な客車が連結されていたが、これらは200km/h運転に対応できずラインゴルトでの運用から外れた。 ラインゴルト型以前には二人用や四人用のコンパートメント席や、開放座席車の一部に二人用個室を設けた客車も存在したが、ラインゴルト型では6人用コンパートメント車と純粋な開放座席車の2種類に整理された。 1962年当時の車両は戦前のミトローパ時代の客車と同様のクリーム地に青の帯の塗装であった。TEE化後もしばらくはそのままの塗装だったが、のちにTEEの標準であるクリーム地に赤帯に改められた。 なお西ドイツ国鉄は1967年に車両の形式名を改めている(de:UIC-Bauart-Bezeichnungssystem für Reisezugwagen参照)。以下では特に断らない限り改定後の形式名を用いる。 コンパートメント車(Avm111型) 6人用個室9室を備え定員は54名である。車両の両端にデッキとトイレがある。個室の長さ(レール方向)は2322mmあり、同時期のフランス国鉄のミストラル56型、ミストラル69型(ともに2140mm)などと比べて広くなっている。全長は26.1m, 重量は43.3トン。 ラインゴルトに当初用いられたのは1962年製のAvümh111型(名称改定前はSAv4üm型)で、のちに200km/h対応のAvümz111型に置き換えられた。 開放座席車(Apm121型) 中央の通路を挟んで1人掛けと2人掛けの座席が並んでおり、定員は48名である。座席の幅は675mm、間隔(シートピッチ)は1170mm。車体はAvm111型とほぼ同じ構造であるが、両端にトイレに加え荷物置き場を設けてあるため、客席部分の長さはAvm111型と比べやや短い。車両の全長は26.1m、重量は45トンである。 ラインゴルトに当初用いられたのは1962年製のApümh121型(名称改定前はSAp4üm型)で、のちに200km/h対応のApümz121型に置き換えられた。 展望車(ADm101型) 車両の中央部分が2階建てとなっており、階上部分は強化ガラス製のドーム状の屋根を備えた展望席となっている。展望席の定員は22名。階下部分は荷物室および郵便室となっている。また両側の平屋部分のうち、片方には6人用コンパートメント2室、もう片方には開放座席12席と飲み物を提供するバーがある。車両の全長は26.4m、重量は50トンあり、このため台車はバネを特別に強化したものが用いられた。 ラインゴルトに用いられたのは1962年製のADümh101型(名称改定前はSAD4üm型)である。この型はラインゴルトとラインプファイルのみで用いられたが、200km/h運転に対応できなかったため、1976年5月29日を最後に運用から外された。 その後は改装されて観光列車「アプフェルプファイル(Apfelpfeil)」に用いられた。1981年にスイスの旅行会社「ライズビューロー・ミッテルスルガウ」に売却され、さらにそこから北ヨーロッパの企業に転売された。2005年には4両がドイツに里帰りし、1962年当時の塗装やTEE色に復元されて観光用に運行されている。残る1両は2007年現在スウェーデンで保存されている。 食堂車(WRm131型) 厨房部分の約5mが2階建てとなっている。食事席は通路を挟んで2人テーブルと4人テーブルが並ぶ形で、席数は48席である。また厨房を挟んで食事席と反対側には軽食を提供するビュッフェがある。車両の全長は26.4mで、重量は54トンに達した。 ラインゴルトでは1962年製のWRümh131型(名称改定前はSDWR4üm型)が用いられた。この型はラインゴルトとラインプファイル専用だったが、200km/h運転に対応できなかったため、1976年5月29日を最後に運用から外れた。 食堂車(WRm132型) 厨房部分も平屋構造となっており、食事室はWRm131型から6席減った42席である。ビュッフェの位置は厨房と食事席の間に変更されている。全長は27.5m, 重量は47.5トンである。 ラインゴルトで用いられたのは1965年から68年にかけて製造された200km/h運転対応のWRümh132型で、他のTEEで用いられていたものが1976年からラインゴルトに転用された。 コンパートメント/バー合造車(ARDm105型) 客車の半分には6人用個室4室があり、もう半分は18席の食事席とビュッフェからなっていた。この他、列車秘書用の部屋があった。 1965年に他のTEE向けに製造されたもので、ラインゴルトでは1976年から数年間エメリッヒ以南での増結車両の一つとして組み込まれた。 クラブ車(WGmh804型) クラブ車 (Clubwagen) は車内にビールなどを提供するバーと、テーブルを囲む形の座席34席を備えた車両である。これはかつてのミトローパのサロン車を現代(1980年代)風にアレンジしたものとされる。この空間を「ラインゴルト・クラブ (Rheingold Club) 」と称し、車内での様々なイベントに用いた。 車体はApm121型を改造したものであり、1982年に3両が製造され、1983年からラインゴルトのミュンヘン方面への編成で用いられた。
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