“唐人”の格好とは? わかりやすく解説

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“唐人”の格好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 18:18 UTC 版)

唐人飴売り」の記事における「“唐人”の格好」の解説

岡本綺堂の『半七捕物帳』第54話、「唐人飴」は題名通り唐人飴売り主題の話で、物語知人飴売り立ち話をしていた半七出会い、その縁で半七から主題となった唐人飴売り昔話聞くころから始まる。 「(前略)…ひと口に飴屋と云っても、むかしはいろいろの飴屋ありましたそのなかで変っているのは唐人飴で、唐人のような風俗をして売りに来るんです。これは飴細工をするのでなく、ぶつ切り飴ん棒一本二本ずつ売るんです」「じゃあ、和国橋髪結い藤次芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう」 「そうですそうです更紗こしらえた唐人服を着て鳥毛付いた唐人笠かぶって、沓くつをはいて、鉦かねをたたいて来るのもある、チャルメラ吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌ってカンカンノウといったような節廻しで、変な手付き踊って見せる。まったく子供だまし相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊り見せるのとで、子供たちのあいだには人気ありました。いや、その唐人飴なかにもいろいろの奴がありまして……」 唐人飴売りの姿は英一蝶の『一画譜』(1770年頃。挿画鈴木)、や十返舎一九『方言修行金草鞋』(1813年 - 1834年)、江戸後期文人考証家・石塚豊芥子の『近世商買狂歌合』(1852年)にある挿画、そして鈴木其一の『飴売り図』などに描かれている。これらの絵画見られる唐人飴売りの姿は、以下に挙げる特徴幾つか持っている韓国カッ似た山高で皿を返した形状の広いつばを持つ帽子(唐人帽)をしている。帽子には鳥の羽根あしらわれている。 団領袍(明朝時代官服)を思わせる上着羽織る。 すねには黒い脚絆をしている。 笛や太鼓持っている。笛はチャルメラに近い形状をしている。 異国風の傘を広げている。 ドジョウ髭を生やしている。 唐人飴売りいつ頃出現したのか正確な年は定かではないが、江戸中期1805年から1809年にかけて戯作者感和亭鬼武記した有喜物真似舊觀帖』3編の内、1806年第2編唐人飴売り記述がある。英の『一画譜』はそれ以前1770年代である。大田南畝随筆死後編纂した半日閑話第一巻には、「今飴を賣る者の笛を吹くは、古くよりの事也…(以下略)」とあり、詩経・周頌の詩や明の瞿宗吉(瞿佑)の『剪灯新話』などの例を挙げて、都での物詣で道の脇で傘を広げ水菓子や飴を売る者たちに似ている記されている。第一巻におけるこの飴売りの項目には明確な年は記載されていないが、『半日閑話』の元となった街談録』は明和5年(1768年)から書かれたものである江戸時代通信使節として参内しオランダ人朝鮮人琉球人の一行だけが江戸の町人が見る機会があった外国人だが、その中で喇叭(ナバル)(朝鮮語版)や、太平簫(テピョンソ)(朝鮮語版)といった日本では類似品がない楽器含めた楽団引き連れ200人から300人の行列参内し朝鮮通信使一行は、多く絵画滑稽本題材となり、江戸時代における唐人像に深く影響与えることになった。やがて、『神田明神祭絵巻』などに描かれ通信使の仮装行列や、喜多川歌麿吉原遊廓遊女たちが唐人帽に細長い喇叭吹かした唐人はやし」と言われる俄に興ずる姿を『韓人仁和歌』で描いたような日本風デフォルメされた“唐人”の姿が形成された。吉原風俗について記した梧桐久儔の『吉原春秋二度の景物によれば安永5年(1776年)には吉原中の町茶屋の子息が俄で唐人演じたとある。このようにして唐人笛として定着した喇叭は、後に唐人笛売りなる専門物売り登場するまでになった宝暦14年(1764年)に第11回目の朝鮮通信使派遣されたが、この一行大阪通辞役の対馬藩士・鈴木使節随行員を殺害する事件(唐人殺し)が発生し一躍世間注目浴びた1767年にはこの事件脚色した世話料理鱸包丁』(『今織蝦夷錦』)が上演される2日禁止された。吉原での唐人はやしや、英一蝶感和亭鬼武記した唐人飴売りはこうした唐人対す世間注目があった時期でもあった。 これに加えて江戸市中には三官飴を売る大店多くあり、中でも雑司ヶ谷鬼子母神境内にある川口屋(現在も上川口屋として続いている)では飴の袋に唐人帽の唐人唐団扇描き、「本唐飴」と銘打ち販売していた。三官飴自体来日した明人伝えたという伝承がある菓子であり、当時飴は明由来菓子であることが強調される商品であった唐人飴売り通信使に影響され唐人像と、明伝来謳われた飴という2つ舶来文化総合した姿だと言える。 やがて文政年間になると、石塚豊芥子が『近世商買狂歌合』にて紹介した安南こんなん飴」の飴売り江戸で人気博した文化10年(1813年)から天保5年(1834年)に書かれ十返舎一九『方言修行金草鞋』十七(もしくは十八)編、「房州小湊参詣」では安房国長南(現在の千葉県長生郡長南町)に唐人帽をかぶり喇叭を吹く飴売りの姿があり、唐人飴売りスタイル江戸市外でも広まっていたことが伺える。

※この「“唐人”の格好」の解説は、「唐人飴売り」の解説の一部です。
「“唐人”の格好」を含む「唐人飴売り」の記事については、「唐人飴売り」の概要を参照ください。

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