“吸引”作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 09:24 UTC 版)
徐州作戦の構想は、まず台児荘の北と北東にいる第10師団・第5師団が中国軍の大兵力を徐州付近に引きつける。一方、第14師団と第16師団が微山湖西側から南下して徐州を目指し、南から中支那派遣軍(第9師団・第13師団)が北上して中国軍を包囲するという計画である。 第5、第10師団による「吸引」作戦は、台児荘戦に引き続いて行われた。第5師団の国崎支隊(国崎登少将)は、4月19日から沂州へ総攻撃を行って占領した。その後沂河の東岸に沿って南下したが、4月26日馬頭鎮南の北労溝で中国軍6個師に包囲され20日間身動きがとれなくなった。西側を進んでいた坂本支隊(坂本順少将)も同様に包囲されていた。第5、第10師団の部隊は、いずれも優勢な中国軍により前進を止められ損害が増加していった。 5月7日、第2軍司令官東久邇宮稔彦王中将は作戦発動を命令した。第5・第10師団は動くことができないため、第16師団のみが前進を開始、済寧を通って南下した。国崎支隊が攻勢に転じたのは第16師団の片桐支隊(片桐護郎大佐)が到着した5月10日以降で、坂本支隊は5月15日から追撃を開始した。
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