握り寿司
寿司職人
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野田良幸(のだ よしゆき) 大阪の寿司職人。「招かざる客」の回に登場。大阪の寿司屋で修業し独立したが行き詰まり上京。2週間、住み込みで柳寿司で働き江戸前の心を掴み大阪へ帰っていった。 磯村慎治(いそむら しんじ) 神田【勘兵衛】主人。日本橋【勘兵衛】から30そこそこの若さで暖簾分けを許された。大学教授の父親に反発して寿司職人となったが、後に旬を通して和解した。鮪に強い拘りを持ち、特にキハダマグロのヅケは絶品で、旬も教えを乞うた。「東都デパート」主催の「全国握り寿司コンクール」で旬や大吾を抑えて優勝した。 巽英一(たつみ えいいち) 旬の祖父・鮃蔵が戦前に修行していた新宿【巽寿司】職人。父は東京の寿司通の間では知らぬ者のいない名人である巽次郎。東西すし祭りの東京代表を巡って旬と車エビを題材に勝負した。結果的には勝利して東京代表の座を獲得したが、自身よりも旨い寿司を握りながら「巽さんがいなければこの発想は出なかったから」との理由で旬が自分から負けを認めて代表を辞退したことによるものであり、旬の潔い身の引き方に感服する。その後の「東西すし祭り」では当初は大吾に歯が立たず、一時は出店すら見合わせるという体たらくだったが、旬の協力で勢いを盛り返し、結局準優勝に終わるが、寿司を通して学んだ数々の出来事に感謝し、自身の店も父の代同様に繁盛するようになった。なお父親の次郎は「松ヶ根ずし」の親方に惚れ込んで、無理矢理弟子入りした経緯がある。 森野石松(もりの いしまつ) 気仙沼【森寿司】職人。旬にとっては大吾と共にライバルであり親友でもある。気仙沼名物のフカヒレ寿司を得意とする。直前の大吾との初対面が最悪だった反動か、旬とは初対面からウマが合い、「東都デパート 銀座本店」での「全国握り寿司コンクール」では、配達のトラブルからマグロを使えなくなった旬のために、磯村と共に自分のマグロの余り分を旬に提供した。小手返しの使い手で、旬は彼の握りに触発されて小手返しの練習に取り組み、コンクールでは小手返しを使うことでロスした時間を取り戻すことに成功した。福岡支店で開催された「全国握り寿司祭り」にも登場。再会した大吾がかつての非礼を詫び、年を重ねてやや落ち着いた彼も快く水に流した。豪快な性格で、わずかだが下ネタを口走るなど好色な面もあり、福岡で臨時ボーナスが支給された時は風俗店の数々を思い浮かべてニヤついていた。「東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)の発生に伴う大津波で気仙沼の店舗も大きな被害を受けたが懸命の努力で復興にこぎ着けた。 清瀬鮎美(きよせ あゆみ) 金沢【鮨 清瀬】の二代目。 先代死後、父の残した店を諦められずに店を継ぎ、登場時点で既に一流と言える鮨職人であった。しかし女性であるが故の苦心にも見舞われていた他、自身で店や加賀前鮨を守ろうと気負いすぎたため最初はとげとげしく、年上の職人を従業員の前で罵倒したり、店の応援にやって来た江戸前寿司の職人である旬を毛嫌いしていた。しかし自分一人で店をやっている訳ではないことに気づいたことで次第に険が取れていく。旬に対しては好意を持つまでになり、旬が東京に帰る時には涙ぐんでいた。なお旬自身は鮎美のことは好きだが、それはあくまで寿司職人としてであり、恋愛対象としてではなかった。「全国握り寿司祭り」には途中参加の可能性(中村談)を含ませつつも参加できなかったが、旬と藍子の結婚披露宴には榊大吾、森野石松、中村、結城達也、磯山太一、灘信行との寿司職人仲間の一員としてサプライズで参列し、握りを披露した。 その後、従来の加賀前鮨を改良した新たな鮨を店で出すようになり、最初は旬らにも驚かれたものの新たな客をつかみ成功している。気の強い性格は変わらず、中村の宣戦布告を受けて立ち、中村が悪役覚悟であったと知ると中村を平手打ちした上で感謝を伝えた。 父親は「加賀前鮨」を考案しており、伝統に固執する江戸前寿司職人を毛嫌いしていたが、一方で江戸前寿司の基本があってこそ加賀前鮨を考案できたと考えていた。母・倫子は店で女将をしており、先代が腕を認めライバルと思っていた鱒之介の下に店の助けを求め、旬を連れ帰った。 中村(なかむら) 【鮨 清瀬】職人。店の応援にやってきたが鮎美に反発されていた旬に親身になっていた。生真面目で引っ込み思案だが徐々に職人としての自信をつけている。また、血の滲むような修行の結果、握るのに六手掛かる「正統・本手返し」を、五手で握るのと同じ速さで会得した。鱒之介は彼の生真面目さを、周囲の人間にとって息が詰まるだけの中途半端な生真面目さではなく、周囲の目が尊敬に変わるまでとことん突き詰めた生真面目さと評した。鮎美のことを一途に想っている。「全国握り寿司祭り」にも登場。その後、先代から加賀前鮨を受け継いでいるのはどちらか白黒つけるために「鮨 清瀬」を辞め、【元祖加賀前鮨 中村】として「東都デパート」のイベント「金沢・百万石祭り」に出店し、鮎美の前に立ちはだかる。結果として鮎美が改良した加賀前鮨こそ正統の加賀前鮨であると世間に認識させることをアシストした。中村の真の意図を知った鮎美と和解し、「鮨 清瀬」に復帰した。 菊川英二(きくかわ えいじ) 「鮨 清瀬」の看板を狙う菊川水産社長・菊川守彦の弟。商売人の父や兄と違い天才的な職人であり、寿司そのものの技術だけでなく客を呼び込むことについても考えが回る。才覚については旬や大吾も一目置くほどだが、敵愾心があまりに強く、すぐに勝負にこだわってしまう悪癖があった。金沢では加賀前の看板をかけた寿司勝負で中村に敗れ、さらに旬の寿司を食べたことで自らが旬に及ばないことを認め、敗因が装飾過多であることを旬に諭され修行に出る。しかし岡山【すし重】での修行の後、「全国握り寿司祭り」にて再び自分の信条である「足し算」の寿司で旬と勝負した。その後、上海に渡り、李建王の展開する【覇王寿司 銀座店】の板長として、本来の江戸前寿司で大吾や旬の前に立ちはだかる。しかし、李建王が築地仲買人の反感を買ったことを知ると、あっさりと「覇王寿司」を辞めた。その後、旬のライバルに相応しい存在になることを目指し、旅に出る。最終的には北海道で自身の店【英(はなぶさ)】を開店した。後に、「東都デパート」で開かれた物産展で自身の勝負にばかり拘るちっぽけなプライドを恥じ、自然な笑顔を出せるようになり、後に旬夫婦を北海道の自身の店に招待している。旬の目指す寿司道と自分の寿司道は相容れないとしており、旬のことを「甘い」と断じるが、その一方で「その甘さ、嫌いじゃない」とも考えている。 『北の寿司姫』にも登場しており、函館の木古内で寿司店を経営している。そこで、主人公の姫野さくらを「大北海道握り寿司新人コンテスト」で優勝させるために一ヶ月特訓した。その際に、掌の温度を自由に変えられるさくらに驚愕した。 小松の親方(こまつのおやかた) 本名は不明。深川の親方と並び称される昭和の大名人で、北陸に小松ありと言われた寿司職人。全国に直弟子孫弟子合わせて数百人の弟子を持つ。金沢にて、「鮨 清瀬」と「鮨 菊川」の勝負に割り込み、菊川英二の豪華な見た目に踊らされ、鮨の本質を見抜けなかった審査員たちを戒めた。能登で隠居生活をしている。 新見清次郎(にいみ せいじろう) 【すし清】の親方。通称「深川の親方」。荒くれで有名な築地の男たちが思わず立ち止まって深々とお辞儀をするほどの伝説の寿司職人。目標である鮃蔵が逝去して寿司が握れないほど落ち込んでいた鱒之介を弟子に引き取り、彼に再び寿司の奥深さを教えた(修業の様子は『寿司魂』に描かれている)。また、戦後の闇市が東京に数多く出ていた中で、「寿司屋はまっとうな商売でなくちゃいけねぇ」という信念を持っていた。2003年時点は米寿(88歳)であり、このころ原因不明の病で両目を失明する。37年前(1966年)51歳、鱒之介が22歳の時点でも彼の尊敬を受けている。旬に「目で魚を見て握っているようじゃ、寿司職人としては半人前」という教えを授けた。また、この時に自身が生涯かけて追い求めていた理想「寿司と一体になる」を成し得た。今際の際に、約束通り最後の弟子となった旬の”名残りのシンコ”を食べて、旬に感謝しながら、旬、鱒之介、松ヶ根の親方、蔦屋の女将に看取られて逝去した。享年89。 松ヶ根の親方(まつがねのおやかた) 【松ヶ根ずし】の親方。本名は不明。深川の親方と並び称される昭和の伝説の寿司職人。鱒之介と旬は、深川の親方と松ヶ根の親方にとって直弟子であり、特に旬は最後の弟子となった。江戸前寿司が昔の庶民的な食べ物から高級品になったことに嫌気が差し、大阪ずしに転向した寿司職人。弟子はとっていないが、鱒之介と旬と巽次郎に大阪ずしを教えた。 結城達也(ゆうき たつや) 単行本第24巻にて初登場。鱒之介の兄弟子(ただし鱒之介は既に職人として一本立ちして年も上だったため実質的には弟弟子のようだった)である小樽【鮨 結城】主人・結城哲(ゆうき てつ)の息子で、旬の下に預けられる。おとなしそうな風貌の陰ではかなり腹黒い性格で旬も手を焼くが、旬の情熱により改心し(そもそも、旬の誠実な姿勢の前に自分のしたことを思わず白状しそうになるなど、根っからのワルではなかった)、北海道に戻ってからは人が変わったように修行に精を出し、後に【鮨 結城 すすきの分店】を任されている(『北の寿司姫』は、そのすすきの分店が舞台)。真子の結婚式や「全国握り寿司祭り」にも登場。 父・結城哲は『寿司魂』にも登場しており、このころから巻物が得意。達也は旬にとって弟弟子になるが、父親の哲は旬の希望に応えて自身の細工巻きを伝授しており、旬にとっては師匠の一人となる。 磯山太一(いそやま たいち) 単行本第40巻「サンマ丼」にて初登場。藍子の伝で、仕事が休みの日に「柳寿司」を手伝うようになった職人。肥満体。弱気で泣き虫だが実は天才的な腕前を秘めており、旬や大吾にも評価されるほど。当初は魚が捌ければ一人前になれると考えていたが、旬の魚と客に対する真摯な態度に感服し、旬のような寿司職人になりたいと考えるようになる。宅配寿司店の職人と名乗っていたが、実は新橋の江戸前寿司店【すし華(はな)】の下っ端職人(柳寿司に通っていたのも、「すし華」で兄弟子たちが自分に雑用しか与えず技術を身につけられないと考えたから)。跡取り息子ら兄弟子達に「柳寿司」通いがばれてしまいリンチを受け、それに怒りつつもけじめをつけるべく店に出向いた旬も負傷するが、隠居していた親方にその場を救われる。その後、旬が改めて店に挨拶に向かった際、親方の計らいでツケ場に立ち、一同に腕前を認められ、以後は親方と共にツケ場を任されるようになる。旬の「全国握り寿司祭り」による不在時は「柳寿司」の留守を担った。「すし華」で働く傍ら、謙介の下で、築地市場の除毒所にて河豚調理師資格取得の修業をし、試験に臨み、無事合格した。また、既成概念に捉われず、半夏生の夏蛸や秋刀魚の炙り、鰤の燻製を試すなど素材の新たな美味しさを引き出すことに積極的に挑戦している。親方から独立を提案されるが、己の寿司道を見つけた旬を見てショックを受け、親方に「自分は子烏賊にもなれていない。」と、引き続き「すし華」での修業を望んだ。その後、大吾の推薦を受け、京都の老舗料亭【桐乃家】の主人に請われ、香りを重視する己の寿司道確立のため、京都に旅立って行った。 灘信行(なだ のぶゆき) 「全国握り寿司祭り」編に登場した福岡【玄海】主人。父親が親友の寿司職人・森田(後に灘の師匠となる)と共に東京へ出かけた際、鱒之介の寿司を食べてショックを受け、失意のうちに亡くなったことから、旬を父の敵として「全国握り寿司祭り」で寿司で叩き潰そうと試みる。最初は心を乱した旬に勝ち誇っていたが、森田からの激励や柳寿司からの応援で旬が精神を立て直すとパフォーマンスに走るなど焦り始め、ついには旬の命まで狙うようになってしまう。最終的に森田に止められて改心、最終的に「全国握り寿司祭り」でも優勝を飾った。 店を手伝っている涼子という妹がいるが、兄同様に旬を敵視していた。 後に涼子、森田と共に「柳寿司」を訪れ、客が喜んでくれる寿司を握ることを目指す。 山田(やまだ) 銀座【鮨處 やまだ】主人。40歳(単行本第77巻時点)。恰幅の良い体格。青森県小泊出身で、29歳の時に大工から寿司職人に転身した。旬を尊敬しており、旬の弟子である和彦の同郷の先輩として度々相談に乗っている。「魚の声」を聞いたり魚の顔つきを人に例えるなど独特な感性を持つ。新たな寿司のアイデアを考案することも多い。 小山内清(おさない きよし) 日暮里【磐田】職人。料理学校を卒業しており初登場(単行本第57巻)時から職人としてある程度の力量があった。「柳寿司」への就職を志願したが、採用されたのは和彦であり、その後は店を転々とする。 紆余曲折を経て、「九条料理専門学校」で鱒之介の開講した経験を積んだ寿司職人を再起させる講座を受講し、さらに「磐田」の主人に採用されて寿司職人として再起に成功した。 安藤(あんどう) 回転寿司店の銀座【きわみ鮨】職人。「九条料理専門学校」の鱒之介の弟子で、当初は回転寿司への就職を渋っていたが、鱒之介に諭され就職。就職後は鱒之介の言葉を胸に奮闘している。 辻川ケビン(つじかわ けびん) 赤坂【鮨 一会】職人。スイス人の父親と日本人の母親を持つハーフ。元々は日本の大学に留学しており、将来は母国のスイスで父の後を継いで医者になるはずだったが、日本で本物の寿司を食べて衝撃を受け、寿司職人になるために大学を辞めてしまう。その後、二ヶ月で寿司の基本を教えるすし学校に入学。卒業後、すし学校の経営する「鮨 一会」に入り、ツケ場に立つまでに成長する。日本人以上に日本人の心を持った職人として通の間では評価が高い。しかし、両親は寿司職人になることに反対しており、勘当同然となっていた。両親に認めてもらうため、「TOKYO SUSHI-1 GP ~next generations~」にエントリーし、優勝を絶対条件とする。実力を遺憾なく発揮し、予選では和彦や沙羅を抑え、激戦区とされる銀座会場を制し、「東都デパート」の催事場で行なわれる決勝に進出する。優勝こそ出来なかったものの、催事場を訪れた両親に美しい寿司を披露し、和解。寿司職人を続けることを認められた。 井上真紀(いのうえ まき) 新橋【真紀】主人。店は先代の父親の頃は立ち食い寿司屋だったが、父が倒れ、半身不随で話すこともできなくなったために店を手巻き寿司専門店に鞍替えして継ぐ。実は「九条料理専門学校」の卒業生で、鱒之介に寿司の教えを受けていたが、当時は父親の跡を継ぐとは思っていなかったためあまり真剣に聞いておらず、そのことを後悔している。 当初はタネの目利きも仲卸の謙介に一任せざるを得ず、和彦に「仕込みの仕方が全て間違っている」と評されるほどの腕しかなく、父親の代にいた常連客は離れていき、店は閑古鳥が鳴いていた。彼女を気にした和彦の旬譲りの厳しい指導を受け、江戸前手巻きを確立。再び常連客が付くようになり、店に活気が戻り、父にも認められた。 和彦と徐々にながら仲を深めている。また旬からは「妹弟子」として扱われている。
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寿司職人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:19 UTC 版)
一人前の寿司職人になるためには『飯炊き三年握り八年』と言われるように、最低でも約10年の修行が必要と言われている。その為、この時点で修行の厳しさに振り落とされる寿司職人候補は9割近くにのぼり、店を開店できるまでになるのは僅か1割程度である。高度な調理技術が求められ、寿司専門店では基本的にベテランの職人が腕を振るっている。美味しい寿司が握れる職人になるには、市場で生鮮魚類を見極める力や、多様な魚の旬を知るほか脂が乗る時季は薄く切る、などの数多くの知識や経験、技術が必要である。また、寿司ロボットのシャリとは異なり、職人が握ったシャリは内部でご飯粒同士が圧縮されていないという違いがある。就業者は、男性がほぼ大多数を占めている。その職業柄、店主は中年以上の人が多く、比較的高齢の店主が増えている。従業員は高卒・中卒直後の非常に若い人がほとんどだが、最近では大卒や中途の人たちも多くなっている。定年はないので、技術があり、体力が持ち、やる気さえあれば極端な事を言うと死ぬまで一生続けられる職業といえる。 一方、法規的に国家資格や民間資格が必要であるわけではないので、持ち帰りや宅配専門店また回転寿司店では、アルバイトやパート労働者によって握りの作業が行われたり、ここ最近では時間短縮のために産業用ロボットが行っていることさえある。 日本国外の事情は日本と異なる。一例として、ニューヨーク・タイムズ紙(2007年7月29日)はニューヨーク市・クイーンズ区の「寿司教室」を紹介している。韓国人が主催する同教室では、1日4時間・6週間を全課程として寿司職人を養成する。学費1,000ドルでそのコースを修了した韓国系・中国系など大勢の生徒は、アメリカ各地で寿司屋や日本料理店のシェフになるという(「寿司#世界の「sushi」へ」も参照)。
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