大将軍とは? わかりやすく解説

たい‐しょうぐん〔‐シヤウグン〕【大将軍】

読み方:たいしょうぐん

《「だいしょうぐん」とも》

古代朝廷反抗するものを征討するために派遣され官軍総指揮官。「征東—」

平安末期武臣統御する人。

鎌倉時代以来江戸時代まで武家政権の長。→征夷(せいい)大将軍2

徒党などの指導者。かしら。おさ。頭領頭目

暦注八将神の一。金星太白)の精で、この神のいる方角は、三年塞(ふさ)がりといって万事に忌まれた。


大将軍

読み方:ダイショウグン(daishougun)

所在 滋賀県大津市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒520-2145  滋賀県大津市大将軍

大将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 00:13 UTC 版)

大将軍(だいしょうぐん、たいしょうぐん)は、中国および日本における歴史上の官職の一つ。

中国の大将軍

前漢の大将軍韓信

大将軍は、古代中国における各将軍の最上位者を意味する官職であり、古くは上将軍と呼ばれた

その起源は不明であるが、末の動乱期に、陳勝に背き、張耳と組んで武臣を趙王に擁立した陳余がこの名称を使用した。

前漢では当初非常置の職であったようで、楚漢戦争期の韓信以降は、匈奴が侵攻して来た際や反乱鎮圧に際してといった非常時に、臨時に政府要人が軍の総帥として任命されることが多かったようである。

武帝による積極的な対外政策が開始されると、常置の官職となった。この時期の大将軍として、対匈奴戦争で大きな功績を挙げた衛青が知られる。

武帝没後、外戚の権力が強まり、政治に参与するようになると、外戚勢力のリーダーがこの職に任ぜられ、政権を握ることが多くなった。

この傾向は、後漢に入ってからも初期の3代の皇帝(光武帝明帝章帝)の時代を除いて続行し、彼ら外戚集団と宦官との政権争いが後漢の政治において大きな位置を占めるようになり、結果として後漢滅亡の要因となった。

三国時代以降も大将軍の職は存在したが、その権力は徐々に弱められることとなり、名誉職としての色合いが強まっていった。また、では上大将軍を設置し、これは大将軍より上位の官職であった。北周でも置かれた。

三国志演義』や『水滸伝』などの小説では「五虎大将軍(五虎上将)」という架空の称号が登場する。

日本の大将軍

源頼朝。鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。
将軍 徳川家康(とくがわ いえやす)。

古代日本では、続日本紀下毛野古麻呂[1]大伴安麻呂[2]について大将軍の記述があり、また隼人の反乱に際して大伴旅人[3]が、神亀元年(724年)陸奥大掾佐伯児屋麻呂が殺害された際に藤原宇合[4]が、藤原広嗣の乱では大野東人[5]が大将軍に任じられた。

養老律令では軍を3個編成するとその統率のために大将軍を1人任命すると定めていたが[6]、実際には3個の軍が同時に編成されたことはない。蝦夷征討のため太平洋側の征東軍(征夷軍)と日本海側の征狄軍(鎮狄軍)の2つの軍が編成され、征夷将軍鎮狄将軍が同時に任命されたことはあるが統率のための大将軍は任命されておらず、1つの軍を率いる将軍でも大規模な軍を率いる偉大な将軍として大将軍と称された[注釈 1]。後に広く武将を指す語ともなり、平安時代から鎌倉時代初期にかけては官職ではなく私称として用いる場合も散見された[注釈 2]。また、承久の乱の際に京都に進撃する鎌倉幕府軍の諸将をそれぞれ東山道大将軍、北陸道大将軍などと称した例がある。建武の乱では、後醍醐天皇第一皇子の尊良親王が、建武政権軍の名目上の総大将として「上将軍」に補任されている。三位以上の公卿皇族を将軍とする際も軍職の名を大将軍と称することもあった[注釈 3]

しかし、将軍ないし大将軍という場合には幕府の主宰者を指す性格が強くなり、征夷大将軍以外の用例としては次第に使われなくなった。江戸時代末期に征討大将軍が任じられているが、一般化するには至らずに終わっている。

明治維新の後、旧日本軍における最上位の官職は陸軍では参謀総長、海軍軍令部総長となり、また自衛隊では統合幕僚長であり、大将軍という名称は残らなかった。

朝鮮の大将軍

高麗時代の大將軍は、高麗の中央軍の將軍。

脚注

注釈

  1. ^ このような例の大将軍としては、紀古佐美などの征東大将軍大伴弟麻呂以下の征夷大将軍が知られる。
  2. ^ 平家物語では、熊谷直実源平合戦における平家方の武将である平敦盛を指して大将軍と呼んでいるなど、身分の高い武将を指す語として用いられた例も見受けられる。
  3. ^ 北畠顕家が任じられた鎮守大将軍懐良親王などの征西大将軍の例がある。

出典

  1. ^ 『続日本紀』和銅2年12月20日条に「式部卿・大将軍・正四位下の下毛野朝臣古麻呂が卒した」とある。
  2. ^ 『同』和銅7年5月1日条に「大納言兼大将軍・正三位の大伴宿禰安麻呂が薨じた」とある。
  3. ^ 『同』養老4年3月4日条に「中納言・正四位下の大伴宿禰旅人を征隼人持節大将軍に任じた」とある。
  4. ^ 『同』神亀元年4月7日条に「式部卿・正四位上の藤原朝臣宇合を持節大将軍に任じた」とある。
  5. ^ 『同』天平12年9月3日条に「広嗣遂に兵を起して反く、勅して、従四位上の大野朝臣東人を大将軍に任じた」とある。
  6. ^ 養老律令の「軍防令」24、『日本思想大系 律令』、岩波書店、新装版1994年(初版は1976年)、ISBN 4-00-003751-X、325頁。

関連項目


大将軍 (方位神)

(大将軍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 15:28 UTC 版)

大将軍
大将軍半跏像
大将軍八神社方徳殿前(京都市)

大将軍(たいしょうぐん、だいしょうぐん)は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一。魔王天王とも呼ばれる大鬼神。仏教での本地他化自在天

古代中国では、明けの明星を「啓明」(けいめい)、宵の明星を「長庚」(ちょうこう)または「太白」(たいはく)と呼び、軍事を司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神(こんじん)・大将軍となった。いずれも金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。

大将軍は3年ごとに居を変え、その方角は万事に凶とされ、特に土を動かすことが良くないとされた。大将軍の方角は3年間変わらないため、その方角を忌むことを「三年塞がり」と呼んだ。ただし、大将軍の遊行日(ゆぎょうび)が定められ、その間は凶事が無いとされた。年毎の方位は十二支によって以下の通り。

遊行日は以下の通り。

大将軍は牛頭天王の息子とされ、スサノオと同一視された。(ただし後に、牛頭天王はスサノオと習合した)

京都では、桓武天皇平安京遷都の直後、大将軍を祭神とする4つの大将軍神社を四方に置いた。

ただし、現在の所在は以下のとおり。これらは現在ではスサノオを祭神としている。

またこれらとは別に、祇園社(八坂神社)も大将軍を祭っている。また、北区には大将軍という地名が残っている。

昨今の事例

2000年4月、山形市の下水道工事で、工事を断る世帯が多く、遅々として進まないというニュースがTVや雑誌で報道された。工事を断る理由の一番目は「経済的理由」であり、その次に多かったのが「大将軍」であった。西暦2000年は辰年で大将軍は北の方角におり、住民たちの多くが屋敷の北に浴室や便所があったため、工事が進まぬ結果となってしまったわけである。方忌呪術は、かつて徳川家が天下を取っていた時に禁止したものの、徳川家の支配があまり強く及ばなかった山形県にはそれが残ったというのが、山形県に現在でも方忌呪術が残っていることの由来と言われている。[要出典]

関連項目


大将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 17:40 UTC 版)

SD頑駄無 武者○伝III」の記事における「大将軍」の解説

トノワカの父であり、天宮治める大将軍。本来の名前は不明作中でも戦闘参加せずシルエットのみの登場となっている。

※この「大将軍」の解説は、「SD頑駄無 武者○伝III」の解説の一部です。
「大将軍」を含む「SD頑駄無 武者○伝III」の記事については、「SD頑駄無 武者○伝III」の概要を参照ください。

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