岡崎神社
岡崎神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 01:13 UTC 版)
| 岡崎神社 | |
|---|---|
| 拝殿 |
|
| 所在地 | 京都府京都市左京区岡崎東天王町51 [1] |
| 位置 | 北緯35度1分2.7秒 東経135度47分19.6秒 / 北緯35.017417度 東経135.788778度座標: 北緯35度1分2.7秒 東経135度47分19.6秒 / 北緯35.017417度 東経135.788778度 |
| 主祭神 | 速素盞鳴尊 奇稲田姫命 三女五男八柱御子神 |
| 社格等 | 旧郷社 |
| 創建 | 延暦13年(794年) |
| 別名 | 東天王社、東天王 |
| 札所等 | 京都十六社 全国清々会(素戔嗚尊奉祀神社五十九社霊場) |
| 例祭 | 7月16日(お涼み) |
| 地図 | |
岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、京都市左京区岡崎東天王町にある神社。別名「東天王」ともいわれる。かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから[2]、兎が氏神の神使とされ、境内には狛兎の石像が点在する。
概要
神使である兎が多産であること、祭神の速素盞鳴尊と奇稲田姫命に子供が多いことから、安産・子授けの神とされる。また、神社創建の由来から方除けの神ともされている。
祭神
- 主祭神
歴史
延暦13年(794年)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に祀った大将軍社の一つとされ、都の東に鎮座するころから東天王と称される[3]。
清和天皇が、貞観11年(869年)に造営し、播磨国廣峯から祭神・牛頭天王(速素盞鳴尊)を迎え祀り、当時同所にあった東光寺の鎮守社の役割を果たした。
治承2年(1178年)には高倉天皇の中宮徳子の御産の幣帛を賜ったことにより、安産の神として信仰される。元応元年(1319年)には後醍醐天皇により社殿を再建、正一位の神階と神宝を賜っている。
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風接近による強風のため拝殿が倒壊[5]。
境内
-
兎年は多くの参拝客が訪れる(2023年撮影)
-
入口石鳥居
-
手水舎
-
宮繁稲荷神社
-
狛うさぎ
-
子授けうさぎ像
祭事
- 1月1日 - 歳旦祭
- 1月16日 - 宮繁稲荷祭・千度祭
- 2月3日 - 節分祭
- 3月16日 - 祈年祭
- 3月春分の日 - 春季祖霊祭
- 5月16日 - 千度祭
- 6月30日 - 夏越大祓
- 7月16日 - 例大祭
- 9月16日 - 千度祭
- 9月秋分の日 - 秋季祖霊祭
- 10月16日 - 氏子大祭
- 11月16日 - 火焚祭
- 11月23日 - 新嘗祭
- 12月2日 - 雨社祭
- 12月31日 - 年越大祓
アクセス
- 路線バス
- 電車の最寄駅
関連項目
- 須賀神社 - 古くは東天王社に対して「西天王社」と呼ばれた
- 大将軍 (方位神)
- 八将神
- 大将軍神社 (京都市北区)
- 大将軍八神社
脚注
- ^ “アクセス”. 岡﨑神社. 2017年1月25日閲覧。
- ^ “ウサギづくし 苦難もピョン”. 朝日新聞: p. 31. (2023年1月16日)
- ^ a b 『京都大事典』納屋嘉治、19841112 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明)、135頁。ISBN 4-473-00885-1。
- ^ 『昭和京都名所圖會』大淵馨、19811030 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明)、179頁。
- ^ 京都でも多数が校舎の下敷きに『大阪毎日新聞』昭和9年9月21日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 佐和 隆研/[ほか]『京都大事典』淡交社、1984年11月12日、135頁。 ISBN 4-473-00885-1。
- ^ 宗政 五十緒・森谷 尅久/編集『京都歳時記』淡交社、1986年2月19日、262頁。 ISBN 4-473-00940-8。
- ^ “岡崎神社前”. 京都市役所. 2023年3月22日閲覧。
- ^ “東天王町”. 京都市役所. 2023年3月22日閲覧。
参考文献
外部リンク
- 岡崎神社のページへのリンク