大分市 概要

大分市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 03:14 UTC 版)

概要

大分県の沿海部のほぼ中央に位置し、大分県の行政・経済・交通の中心地で、大分都市圏の中心地でもある。県内の総人口の42.7 %が集中する首位都市であり、これは九州地方の県庁所在地の中では、熊本市(42.7 %)と並んで最も高い。人口が微増していた本市も、2017年度には1981年の統計開始以来、初めて減少に転じたが、減少率は県内の市町村の中では最も少ない。現在の市域は、かつて大分郡及び北海部郡(明治初期までは海部郡)に属していた。

古くは豊後国国府が置かれ、府内(ふない)と呼ばれた。中世には大友氏の城下町として発展し、戦国時代にはキリシタン大名大友義鎮(宗麟)の庇護のもと、日本におけるキリスト教布教の中心地となり、南蛮文化が花開いた。

高度経済成長期に、鉄鋼業化学工業などの重化学工業の進出に伴い、大分臨海工業地帯工業都市として急成長し、近年では電子工業の立地が進んでいる。

地理

上野丘陵から見た大分市中心部のパノラマ画像
霊山から見た大分市中心部のパノラマ画像
大分市中心部周辺の空中写真。2007年4月29日撮影の75枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

瀬戸内海別府湾に面し、東部には南から大野川が、西部には西から大分川が流れ、瀬戸内海に注いでいる。大分川及び大野川が形成した三角州及び沖積平野からなる大分平野と、その周りの丘陵とを抱え、中心市街は、大分川の河口西側に位置する。別府市との境界付近にあってニホンザルで知られる高崎山地区、及び、豊予海峡に浮かぶ高島地区は、瀬戸内海国立公園に指定されている。森林セラピー基地認定地域。

高速道路大分自動車道及び東九州自動車道が市域をほぼ東西に貫通し、一般国道国道10号国道210号などと接続している。

市内の郊外地域ではニュータウンショッピングセンターなどの開発により、人口の増加が著しい。

  • 東端 - 東経131度57分46秒
  • 西端 - 東経131度25分07秒
  • 南端 - 北緯 33度04分11秒
  • 北端 - 北緯 33度17分24秒

気候

瀬戸内海式気候に属し、年間を通じて温暖、少雨である。平均気温は16.8℃、降水量1727.0mm(平年値)。ただし、旧大分郡野津原町地域は障子岳、御座ヶ岳などの600~800m級の山々が連なり、内陸部への入り口に当たるため内陸性気候に属し、平地より気温が若干低くなる。

  • 気温 - 最高37.8℃(2013年(平成25年)7月24日、最低-7.8℃(1918年(大正7年)2月19日
  • 最大日降水量 - 443.7ミリ(1908年(明治41年)8月10日
  • 最大瞬間風速 - 44.3メートル(1999年(平成11年)9月24日
  • 夏日最多日数 - 152日(2005年(平成17年))
  • 真夏日最多日数 - 79日(2022年(令和4年)、2023年(令和5年))
  • 猛暑日最多日数 - 24日(2013年(平成25年))
  • 熱帯夜最多日数 - 40日(2022年(令和4年))
  • 冬日最多日数 - 67日(1918年(大正7年)、1936年(昭和11年))


大分地方気象台(大分市長浜町、標高5m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 24.6
(76.3)
25.5
(77.9)
29.3
(84.7)
31.2
(88.2)
32.7
(90.9)
35.4
(95.7)
37.8
(100)
37.6
(99.7)
36.5
(97.7)
33.1
(91.6)
28.0
(82.4)
25.0
(77)
37.8
(100)
平均最高気温 °C°F 10.7
(51.3)
11.5
(52.7)
14.6
(58.3)
19.7
(67.5)
24.1
(75.4)
26.5
(79.7)
30.9
(87.6)
32.2
(90)
28.2
(82.8)
23.3
(73.9)
18.1
(64.6)
13.0
(55.4)
21.1
(70)
日平均気温 °C°F 6.5
(43.7)
7.2
(45)
10.2
(50.4)
14.8
(58.6)
19.3
(66.7)
22.6
(72.7)
26.8
(80.2)
27.7
(81.9)
24.2
(75.6)
19.1
(66.4)
13.8
(56.8)
8.7
(47.7)
16.8
(62.2)
平均最低気温 °C°F 2.6
(36.7)
3.0
(37.4)
5.9
(42.6)
10.3
(50.5)
15.0
(59)
19.3
(66.7)
23.5
(74.3)
24.3
(75.7)
20.9
(69.6)
15.2
(59.4)
9.5
(49.1)
4.6
(40.3)
12.8
(55)
最低気温記録 °C°F −7.3
(18.9)
−7.8
(18)
−5.2
(22.6)
−2.1
(28.2)
1.7
(35.1)
7.2
(45)
14.0
(57.2)
14.1
(57.4)
8.8
(47.8)
2.0
(35.6)
−2.0
(28.4)
−6.1
(21)
−7.8
(18)
降水量 mm (inch) 49.8
(1.961)
64.1
(2.524)
99.2
(3.906)
119.7
(4.713)
133.6
(5.26)
313.6
(12.346)
261.3
(10.287)
165.7
(6.524)
255.2
(10.047)
144.8
(5.701)
72.9
(2.87)
47.1
(1.854)
1,727
(67.992)
降雪量 cm (inch) 0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
1
(0.4)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 5.9 7.7 10.0 10.0 9.7 14.0 12.0 10.6 11.1 7.7 6.9 5.5 111.0
平均降雪日数 6.4 4.6 1.5 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.1 4.6 17.3
湿度 62 63 65 65 68 77 77 75 74 70 69 64 69
平均月間日照時間 149.4 149.1 175.0 190.1 194.6 135.7 180.8 202.8 151.5 164.2 148.2 151.2 1,992.4
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1887年-現在)[1][2]


隣接する自治体

地名

歴史

古代

古代には、現在の大分市周辺は大分郡(おほきたのこほり)と呼ばれ、現在の市の中心部からやや南に外れた大分川下流沿い(現在の古国府)に、豊後国国府が置かれたと推測されている。

「大分」の名は、『豊後国風土記』によれば、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と言って名づけたもので、「碩田」が後に「大分」と書かれるようになったとされる。実際には大分平野はさほど広大であるとは言えないため、今日では、景行天皇の言葉は、平野の広大さではなく、多くの田が並ぶ様子を描写したものと解されているが、いずれにしても大分平野に古くから田圃が開けていたことを示すものと言える。

中世

鎌倉時代には大友氏が豊後国守護に任じられ、第3代当主大友頼泰貞応元年(1222年) - 正安2年(1300年))の代に豊後国に下向して土着した。元弘3年(1333年)には豊後国の守護職に任ぜられている。室町時代に入ると、第7代当主大友氏泰は、拠城をわずかに北にずらして大分川河口付近に館を構えた(現在の市の中心部の東側で、顕徳町などにあたる)。これが現在の大分市に連なる城下町のはじまりで、町の名を府内といった。現在の大分市街地中心部に残る「府内町」という地名や「府内5番街」という商店街はこの名残である。

戦国時代の府内は、最盛期には九州の過半を手中に収めた第21代当主大友義鎮(宗麟)のもとで、日本で初めての西洋式の病院が開設されるなど、南蛮文化を受容し栄えた。しかし、大友氏は島津氏等との抗争に敗れて衰退し、府内は1586年天正14年)の島津家久の侵攻(豊薩合戦)によって炎上し壊滅したとされる。近年、大分駅付近の連続立体交差事業および区画整理事業に伴い、大友氏館跡をはじめとする中世から戦国時代にかけての府内の遺跡が発掘され、2001年平成13年)には大友氏館跡として国の史跡に指定されている。

義鎮(宗麟)の跡を継いだ大友義統文禄の役での失態のために改易された後、豊後国は細分され諸侯に封じられた。1597年慶長2年)に府内を封じられた福原直高府内城(大分城)の築城を開始した。

近世

1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いの戦功により府内藩(大分藩)の藩祖となった竹中重利によって府内城は大規模な改修が行われ、1607年(慶長12年)に近世大名の居城としての規模となった。その城下町もまた重利によって整備され、後の繁栄の基となった。

江戸時代の府内は、1712年正徳2年)の調査によると5,591人の人口を擁しており、豊後最大級の城下町であった。

幕末時点では、現在の市域に、府内藩のほか、臼杵藩岡藩延岡藩熊本藩・幕府の領地が存在した。

近代

明治になると府内には大分県の県庁が置かれ、1889年明治22年)の町村制施行により大分町となった。明治の大合併と呼ばれる市町村合併が進む中、1907年(明治40年)に3町村を編入。1911年(明治44年)には市制を施行した。1920年大正9年)の人口は、4万3,150人であった。

1928年昭和3年)、初代の「大分市歌」(作詞:須賀金夫、作曲:山田耕筰)を制定。

戦後・現代

旧大分市域(1963年3月10日 - 2004年12月31日)

全国の都市の中でも、大分市は高度経済成長期以降に急激に成長した都市のひとつである。

1950年代には大分市の人口は10万人弱で、宮崎市よりもわずかに少なく、九州(沖縄県を除く)では佐賀市に次いで2番目に小さな県庁所在地であった[3]

1960年代(昭和35年ごろ)からの高度経済成長期に入ると、工業化による地域振興を図り大分地域の発展計画のために新産業都市指定を目指した。人口要件を満たすために1963年(昭和38年)に鶴崎市大南町などとの大合併(新設)に踏みきり、2代目市歌(作詞:市歌審査委員会、作曲:中野静雄)を制定。1964年(昭和39年)1月に新産業都市に指定されると、沿岸部に新日鉄などの大工場が進出した。それまでの鄙びた小都市から九州を代表する工業都市へと急速に開発が進み、大分市は「新産都の優等生」と呼ばれた。

人口も1960年代以降急激に増加し、1963年(昭和38年)の合併時には21万人であった人口が1970年(昭和45年)には26万人、1980年代には36万人、1990年代には40万人を突破し、ほぼ倍増するという著しい増加を見せた。周辺部の丘陵地帯には次々に大規模な住宅団地が造成され、城南団地明野団地敷戸団地などのニュータウンスプロール化して連なる特異な郊外環境が誕生した[4]。1983年(昭和58年)に現行の3代目市歌(作詞:竹森カヨ、作曲:中山悌一)を制定。

新産業都市としての発展にともない、1970年代には長崎屋ダイエーニチイジャスコ西友など関東・関西資本の大型スーパーが大分駅前に多数進出し、地場百貨店のトキハなどとともに九州では珍しい首都圏の郊外都市のような駅前型の繁華街が形成された。しかし、その後、商業のドーナツ化が進み郊外ではショッピングモールが開発された一方、2009年までに中心部の大型スーパーはすべてが業態転換または撤退[5]。中心部では、大分駅の高架化に伴い2015年(平成27年)春にアミュプラザおおいたが開業している。

1997年(平成9年)4月1日には、中核市へ指定されている。平成の大合併では、2005年(平成17年)1月1日に佐賀関町と野津原町が大分市へ編入された。




注釈

  1. ^ a b 2005年平成17年)3月31日に合併(新設合併)して豊後大野市となる。
  2. ^ a b c d 2005年平成17年)10月1日に合併(新設合併)して由布市となる。
  3. ^ a b c 同日、一部(鬼崎の一部)が挾間町[注釈 2]に編入。
  4. ^ 特記がない限り明治8年。なお、明治11年に海部郡が分割され、のちに大分市となる地域はすべて北海部郡となった。
  5. ^ 東京都新宿区との2本社制。

出典

  1. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2023年8月閲覧。
  2. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2023年8月閲覧。
  3. ^ 石黒正紀、「戦後における九州地方の人口構造変化」『福岡教育大学紀要,第二分冊,社会科編』 2006年 第55号 p.1-8, 福岡教育大学
  4. ^ レファレンス事例集 大分県内の(住宅)団地開発について 大分県立図書館
  5. ^ a b デパート 商店街とデパートの競争”. 大分歴史事典. 大分放送. 2002年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月27日閲覧。
  6. ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。『朝日新聞』。
  7. ^ 会派とは 大分市
  8. ^ 大分今昔(7)中島かいわい” (PDF). 大分合同新聞. 2018年4月14日閲覧。
  9. ^ 大分市報 昭和30年7月1日号 (PDF)
  10. ^ 大分県大分郡大分町 (44B0070013)”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター 歴史的行政区域データセットβ版. 2023年5月29日閲覧。
  11. ^ OASISひろば21職業相談窓口 厚生労働省大分労働局
  12. ^ 大分家畜保健衛生所 - 大分県
  13. ^ a b 大分市総合計画「おおいた創造ビジョン2024」基本計画総論 (PDF) 大分市、2016年6月
  14. ^ 年次推計主要計数 4.生産 (PDF) 内閣府
  15. ^ a b c d e 統計年鑑(平成28年版) 大分市
  16. ^ 第2次大分市商工業振興計画 資料編 3.データでみる本市商工業の現況 (PDF) 大分市
  17. ^ 太陽光発電:大分市がナンバー1 13万キロワット - ウェイバックマシン(2014年8月13日アーカイブ分) 毎日新聞、2014年8月12日
  18. ^ 太陽光発電導入件数日本一!! 浜松市
  19. ^ “100億企業 3社増 16年度”. 大分合同新聞. (2017年10月6日). オリジナルの2017年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171005222221/https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2017/10/06/JD0056213592 (以下の売上高順位もこの記事に基づく)
  20. ^ 姉妹都市・友好都市・交流促進都市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  21. ^ a b 《姉妹都市》帯広市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  22. ^ a b c 国内姉妹都市紹介”. 帯広市. 2016年3月27日閲覧。
  23. ^ a b c d e f 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2012年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
  24. ^ a b 《姉妹都市》アベイロ市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  25. ^ a b 《姉妹都市》オースチン市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  26. ^ アメリカ合衆国”. 国際一村一品交流協会. 2016年3月27日閲覧。
  27. ^ a b 《友好都市》武漢市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  28. ^ a b 《交流促進都市》広州市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  29. ^ 関あじ・関さばまつり”. 2020年10月10日閲覧。
  30. ^ <中止>関あじ・関さばまつり”. 2020年10月10日閲覧。
  31. ^ “衛藤美彩 ミスマガンGP ふるさとPRしたい”. 大分合同新聞 夕刊 第40351号 (大分合同新聞社). (2011年7月13日) 






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