ローマ皇帝一覧 テオドシウス朝断絶後

ローマ皇帝一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 22:08 UTC 版)

テオドシウス朝断絶後

西方帝位

肖像 名称 生年と誕生地 在位期間 即位背景 没年と死因
ペトロニウス・マクシムス
FLAVIVS ANICIVS PETRONIVS MAXIMVS AVGVSTVS
396年 455年3月17日 – 455年5月31日 元老院議員。ウァレンティニアヌス3世が暗殺された後、元老院の支持によって帝位を得たが、ヴァンダル族の前に首都ローマを捨てて逃亡し、激怒した民衆に投石されて死亡した。 455年5月31日
民衆による投石で死亡
アウィトゥス
EPARCHIVS AVITVS AVGVSTVS
385年 455年7月9日 – 456年10月17日 フン族を破った将軍アエティウスの側近。ペトロニウスの失脚を知った西ゴート王テオドリック2世により皇帝に推挙され、属州および元老院の承認を経て皇帝となる。民衆の不満から元老院によって帝位を剥奪され、マヨリアヌスリキメルらによって追放された。 456年~457年
不明
マヨリアヌス
IVLIVS VALERIVS MAIORIANVS AVGVSTVS
420年11月 457年4月 – 461年8月2日 アウィトゥスの同僚。リキメル支援の下、軍隊の推挙により即位。優れた手腕で西方領土の再建を進めるが、後にリキメルにより廃位の後に処刑。 461年8月2日
リキメルにより処刑[12]
リウィウス・セウェルス
LIBIVS SEVERVS AVGVSTVS
生年不明
ルカーニア
(イタリア本土)
461年11月 – 465年8月頃 元老院議員。マヨリアヌス没後、リキメルの傀儡として皇帝となる。 465年
不明
アンテミウス
PROCOPIVS ANTHEMIVS AVGVSTVS
420年 467年4月12日 – 472年7月11日 東方正帝マルキアヌスの娘婿。西方帝位が空位となっていた時期に、東方正帝レオ1世によって西方正帝と宣言された。西ローマ帝国の有力者リキメルと争い、敗れて処刑された。 472年7月11日
リキメルにより処刑される
オリュブリウス
FLAVIVS ANICIVS OLYBRIVS AVGVSTVS
420年 472年7月11日 – 472年11月2日 ウァレンティニアヌス3世の娘婿。リキメル病没後、ヴァンダル軍の協力を得て帝位を得るが、自らも流行病に倒れる。 472年11月2日
自然死
グリケリウス
FLAVIVS GLYCERIVS AVGVSTVS
? 473年3月 – 474年6月 アニシウス氏族出身。ブルグント族のグンドバト王の協力で帝位を得るが、東方正帝レオ1世の支持を得たユリウス・ネポスに追放される。 480年以降
サロナにて病没
ユリウス・ネポス
FLAVIVS IVLIVS NEPOS AVGVSTVS
430年 474年6月 – 475年8月28日(イタリア) – 480年春(ダルマティア) ダルマティア海軍の提督マルケリヌスの甥で、東方正帝レオ1世の娘婿。レオ1世の強い支持でグリュケリウスを追放して皇帝となる。軍司令官オレステスの裏切りで追放され、ダルマティアへ亡命する。亡命後もダルマティアを実効支配するとともに、新たな東方正帝ゼノンからは正式な「西方の共同皇帝」と見なされ、ロムルス・アウグストゥルスとオレステスを追放したオドアケルからも承認されていた。亡命先で自らの護衛兵によって暗殺された。 480年
暗殺される
ロムルス・アウグストゥルス
FLAVIVS ROMVLVS AVGVSTVS
460年 475年10月31日 – 476年9月4日 蛮族出身の軍司令官オレステスの息子。ユリウス・ネポスを追放した父オレステスによって皇帝として擁立された。オレステスがオドアケルに敗れて失脚したことにより、退位に追い込まれ追放された。ただし殺害されたわけではなく、年金を得ながらイタリア南部で余生を送った。 不明

東方帝位


  1. ^ Holland, Rubicon, p.??
  2. ^ Starr, A History of the Ancient World, pp.670-678.
  3. ^ レミィ2010、pp.47-48。
  4. ^ J. B. Bury, History of the Later Roman Empire: From the Death of Theodosius I to the Death of Justinian, pp16-18
  5. ^ Asimov, p. 198.
  6. ^ a b ル・ル2012、pp.28-40。
  7. ^ 尚樹1999、p.49。
  8. ^ ルメルル2003、p.9。
  9. ^ ル・ル2012、p.40。
  10. ^ ル・ル2012、pp.39-40。
  11. ^ a b ル・ル2012、pp.38-39。
  12. ^ PLRE, Vol. II, pp. 702–703; Grant, pp. 315–316.


「ローマ皇帝一覧」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ローマ皇帝一覧」の関連用語

ローマ皇帝一覧のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ローマ皇帝一覧のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのローマ皇帝一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS