理論と実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 21:01 UTC 版)
インテグラル思想においては、普遍性と時代性・自律性と関係性・創造と継承等、一般的に対照的なものとして見なされている対極的事項の統合が積極的に志向される。われわれが瞬間・瞬間に経験する呼吸の動きに象徴されるように、人間の存在は無数の対極的な事項により特徴づけられているが、インテグラル思想は、それらをダイナミックに往復することの価値を認識・強調することをとおして、人間の可能性のより完全な実現を可能としようとするのである。 無数の対極性のなかでも、インテグラル思想において、とりわけ重要な意味をもつのが「理論と実践」である。これらの相補的な対極性を巧みに管理することは、非常に重要な課題として認識される。 上述のように、インテグラル思想において、最も重要視されるのが、構築物としての理論をのりこえていこうとする姿勢である。ウィルバーは、しばしば、その著作の末尾において、自らが構築した思想を自らの手により「否定」することをとおして、読者を常に既に存在する観想者としての自己にひきもどす。窮極的に必要とされるのは、概念的な構築物としての思想を記憶することではなく、人間の存在を特徴づける無(Nothingness)と神秘(Mystery)と空(Emptiness)を自覚することなのである。そして、それは、必然的に、われわれに生きることを要求する。 こうした洞察にもとづいて、今日、インテグラル・コミュニティーは、研究と実践の相補的な重要性を強調するAction Inquiry(行動探求)のコミュニティーとして、その活動を展開しはじめている。活動の主眼は、個人の領域の変容(治癒)のみならず、また、集合の領域の変容(治癒)を包含する、包括的なものである。 今日、人類をとりまく生存状況が惑星規模で急激に劣化するなかで、人類の生存の可能性そのものが深刻な危機にさらされている。こうした状況のなか、現代文明を真の意味で持続可能なものとして構築しなおすための積極的な活動を展開することの必要性は、ますます切迫した課題として認識されている。しかし、実際には、そうした認識が、成熟した責任能力にもとづいて、意図的・継続的な変革の実践として世界的規模で実現されるまでには、まだまだ至っていない。むしろ、今日、世界的に頻発しているのは、生存状況の劣化を契機として発生する諸々の共同体間の衝突である。Steven LeBlanc (2003) の指摘するように、人間は、自らの生活する共同体の人口収容能力が自然資源の枯渇や自然環境の劣化により低下するとき、周辺領域を侵略することをとおして、自己の生存を図ろうとする生物である。今日、人類の繁栄と生存を可能としている重要資源である化石燃料が枯渇局面を迎えようとするなか(Heinberg, 2003)、自己の生存を確保するために、(国家・民族等)諸々の共同体間の衝突が頻発しはじめていることは、むしろ、当然のことといえるだろう。 この惑星は閉鎖システムであり、そこに存在する資源は有限である。継続的な人口増加に基づいた自然資源の大量消費は、いずれは、人類種の生存を可能とする重要資源の枯渇を招くことになる。そして、生存条件という外的状況の悪化は、個人・共同体の内的領域における退行をひきおこし、人間の生得的な自己中心性を増幅することになる。そうした状況が発生するとき、今日、先進諸国において物質的豊かさの基盤のうえに成立している内面性探求は、全く意味をもたないものに成り果ててしてしまう。 今日の繁栄を可能としている諸々の前提条件を溶解するであろう危機の時代において必要とされるのは、われわれに自らをとりまく生存状況を包括的に認識することを可能にする視野である。そうした認識の存在しないところで創出される対応策は――たとえ、それがどれほどの誠実さに支えられたものであろうとも――非効果的なものとならざるをえないだろう。 インテグラル・アプローチを特徴づけるのは、内面と外面、そして、個と集合という領域を相互に関連するものとしてとらえる包括的な視野である。また、インテグラル・アプローチは、そうした視野を自己の認識構造として確立するために必要となる自己変容の実践に取り組むことを重視する実践思想である。そうした包括的な視野をとおして自己の置かれている時代状況と対峙するとき、われわれは、はじめて、真の意味の責任能力を所有する存在として人生を生きることができるのである。
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理論と実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 06:24 UTC 版)
「米国議会図書館件名標目表」の記事における「理論と実践」の解説
件名・分類は人的かつ知的な成果であり、訓練された専門家が情報資源に対し主題の説明を与えるものである。当然、すべての図書館が、統一基準に従うことなく,それぞればらばらにその蔵書を主題によってカテゴライズすることも可能である。しかし、米国議会図書館件名標目表が広く受け入れられ使用されることで、世界中のどの図書館の蔵書であっても、正しい標目が付与されてさえいれば,同じ検索戦略とLCSHシソーラスによって統一的に検索しアクセスすることができる。それゆえ、LCSHの決定に際しては図書館コミュニティにおける大きな議論や、時には論争を伴うことがある。 LCSHがカバーする主題範囲は広いが、LCSHの使用が理想的もしくは効果的であるとはいえない図書館もある。特徴ある蔵書や利用者コミュニティに対応するためには、別の件名標目表が適している場合もある。米国立医学図書館 は保健科学分野のデータベースや蔵書に対して用いるため、 国立医学図書館件名標目表 (en:Medical Subject Headings)(MeSH) を維持管理している。通常、大学図書館ではLCSHとMeSHの両方を付与することはない。カナダでは、カナダ国立図書館がLCSHにカナダ やカナダ関連の主題にアクセス・表現するための標目を補足したカナダ国立図書館件名標目表 (en:Canadian Subject Headings) (CSH)を策定した。
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