理論と政治スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:50 UTC 版)
「クワメ・エンクルマ」の記事における「理論と政治スタイル」の解説
エンクルマの政治スタイルは、自らの雄弁を武器とした大衆動員的なものであった。この雄弁によって大衆的・国民的人気を得たエンクルマは、国内の特定の民族グループに頼らない、イデオロギーに基づいた政治を志向することができた。これに対し、政敵であるJ.B.ダンカやコフィ・ブシアなどは最大民族アカン人の、さらに最大のサブグループであるアシャンティ人に立脚していたため、他民族の支持を糾合してエンクルマは常に優位に立つことができた。 政治理論としては、パン・アフリカ主義最大のイデオローグの一人であり、アフリカ社会主義に基づく社会建設を目指し、アメリカの公民権運動指導者であるW・E・B・デュボイスをガーナに招いてエンサイクロペディア・アフリカーナを編纂させた。また、新植民地主義の命名者であり、最初の提唱者の一人として知られる。その著書である「新植民地主義」(1965年)において、レーニンの帝国主義論の影響を受けながらこの思想の基本を定義した。 外交面では非同盟主義の中心人物の一人であり、その連帯と強化を図り、訪中した際に中国の周恩来から贈られた特注の人民服をアフリカの伝統的な民族衣装とともに外遊などの際に愛用した。また、エジプトのガマール・アブドゥル=ナーセルとも親交を深め、エジプトのコプト出身の妻ファティア・エンクルマ(英語版)との間に生まれた子供にガマールと名付けた。
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