理論と論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 23:28 UTC 版)
文化帝国主義は多数派による文化変容の強制とされる一方で個人の自由意志に基づく外国文化の自発的な受容にも当てはまる可能性がある。これら二つの解釈が存在するためにこの用語の妥当性が問題にされることがある。この用語は個々の会話によって理解のされ方が様々である。 -文化的影響は文化の「受容」を文化的アイデンティティーの危機ととるかその濃密化と捉えるかに解釈が分かれる。従って文化帝国主義を論じるにあたってはこれらが文化の優位性に対して能動・受動的態度を取るかを論じるものなのか、あるいは外来物に存在し、自国文化の産物には部分的に欠けていると考えられる価値を補完しようとする文化的地位や人々について語るものなのかを区別するほうがよい。 外来の産物やサービスは例えば消費主義などのような特定の価値観を表す、もしくは連想させることがある。文化の受容が必ずしもそういうことを連想させるということはないが、外来品やサービスを使用することで外来文化を受動的に吸収している。外来文化の受容が持つこのような特質はしばしば隠れがちではあるが、先にあげたような効力が強いため、専門家の中ではこの仮説を「古めかしい帝国主義」と評する者もいる。また、他方では20世紀終盤から21世紀初頭にかけての新たなグローバル経済においては新しい情報技術を利用することで文化受容の過程がますます容易になってきている、と論じる研究者もいる。この類の文化帝国主義は、いわゆる「ソフト・パワー」から生じるものである。電子植民地主義の理論は単なる問題から全世界的・文化的問題かつ主要マルチメディアの複合企業の影響力にまで波及する。またそのような企業はディズニーやマイクロソフトに至るまでの大方アメリカ合衆国の巨大コミュニケーション企業の有力な権力に焦点を当てている。
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