理論と普及の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:36 UTC 版)
遊びは子供の成長に大きな影響を与える。数々の玩具は、発育や様々な機能の発達に刺激を与える重要な道具である。ドイツのフリードリヒ・フレーベル(1782年-1852年)は人間形成において玩具の重要性を初めて主張し、1831年に世界初の幼稚園を創設した。彼は「恩物の理論」の中で、玩具とは自然の法則を理解するために神が与えた道具と定義づけ、幼児の成長段階において必要な種類の玩具を分類した。これによると、最初には毛糸を巻きつけた小さめのボールを与えるべきであり、次は木製の球と立方体、続けて(3)分割された立方体、(4)八面体、(5)立方体の面を二回ずつ切断した27片、(6)棒や水晶型など複雑な27個の積み木という段階を設定した。この積み木は「恩物」という名がつけられた。フレーベルは1837年にブランケンブルクで「子供の労働意欲を育てる会」を作り、ボールやさいころなど様々な玩具を製作した。 イタリアのマリア・モンテッソーリ(1870年-1952年)は、独自の教育法(モンテッソーリ教育)を実践するために200種類もの教育玩具(教具)を開発した。これらは、感覚教育、言語教育、算数教育などそれぞれに目的を持つが、子供が自ら遊ぶ中でこれらの主題を発見し、身につけることで社会への適応性を育て、人格を形成するための補助となるように考えられていた。 日本では、1871年(明治4年)に慶應義塾が遊具を設置し、1873年(明治6年)には内務省が教育玩具の普及を目的に製造業界に製品の販売を促した。文部省も乗り出し、『小学読本』でボール遊びのひとつとして野球の記事を載せたり、『童女筌』でけん玉遊びを奨励するなどの活動を行った。1879年(明治12年)にはフレーベルの理論を紹介した『幼稚園法二〇遊嬉』を発行した。1914年(大正7年)には幼稚園・小学校の教材に折り紙が加えられた。第二次世界大戦中には模型飛行機などの軍事色が強い玩具が学校教育に導入されたが、戦後にはこのような戦争玩具は教室から排除された。
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