ひょう‐ほん〔ヘウ‐〕【標本】
標本(サンプル)
田沢湖のクニマス(標本)
名称: | 田沢湖のクニマス(標本) |
ふりがな: | たざわこのくにます(ひょうほん) |
種別: | 動物植物地質鉱物関係 |
種別2: | |
都道府県: | 秋田県 |
市区町村: | 秋田市(秋田県立博物館)、仙北市(仙北市田沢湖郷土史料館) |
管理団体: | |
登録年月日: | 2008.07.28(平成20.07.28) |
登録基準: | 登-天3 |
追加登録年月日: | |
解説文: | 形態及び生態において多くの特徴をもつ秋田県田沢湖固有の淡水魚。1940年に発電等を目的として玉川の強酸性水を田沢湖に導入したため絶滅。現在標本は17体しか残っていない。人為的に絶滅させた淡水魚の標本として、また、その生物学的特長を知るうえで貴重である。 |
標本
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/10 06:26 UTC 版)
3個の化石はイタリアのチェーネ近郊で見つかっている。最初の化石で模式標本の MCSNB 2886 は不完全でバラバラになった骨格だった。第2標本の MCSNB 3359 はつながった骨格で、胸腰椎、固められた尾、翼、後肢、足などが残っているが埋没する前に水流で現れた可能性がある。この標本はパラタイプ標本となっているが、ペテイノサウルス特有の特徴が何一つ確認できないので、実は別の翼竜であるという可能性もある。このパラタイプ標本には20cmほどの長い尾があり、長く伸びた椎骨の延長部によってしっかりと固められているが、この特徴は三畳紀の翼竜に一般的に見られる特徴である。第3の標本は MCSNB 3496 で、これも骨格の一部からなる。全ての標本は未成熟個体で、頭蓋骨が保存されているものはない。 ほとんどの翼竜と同じくペテイノサウルスの骨格は強靱であるが非常に軽量である。ペテイノサウルスは三形歯性、すなわち3種類の円錐歯を持っている。ペテイノサウルスの食性は昆虫食であると考えられている。ペテイノサウルスの第5趾は伸長しており爪がない。その関節は他の趾骨とは異なった平面で曲がるようになっており、ソルデスの標本 PIN 2585/3 に保存されていたような腿間膜を制御することができた[要出典]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 03:31 UTC 版)
Daedalosaurus madagascariensis Carroll, 1978 はマダガスカルのモロンダバ盆地 (Morondava Basin) のSakamena累層(ペルム紀後期)産標本を基にしているが、コエルロサウラヴスの模式種であるCoelurosauravus elivensis のシノニムだとされている。Gracilisaurus ottoi と Weigeltisaurus jaekeli は両者ともドイツ北東部にあるペルム紀後期の Kupferschiefer 部層(Werra 累層)から産出しているが、これらもまた1987年にコエルロサウラヴスのシノニムであるとされた。Weigeltisaurus jaekeli はコエルロサウラヴス属の別の種とされCoelurosauravus jaekeli となったが、2015年のBulanov & Sennikovによる2つの研究によってコエルロサウラヴスの物だとされている頭骨標本が再評価され、Weigeltisaurus jaekeli は有効な属名として復帰した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 02:45 UTC 版)
ホロタイプであるアブロサウルスの最初の標本はほぼ完全で保存状態の良い頭骨である。この他にこの属のものとされる部分的な頭骨と部分骨格が各1つあるが、記載は行われていない。これらの標本は全て、中国四川省の自貢市の近くにある大山舗発掘地で発見され、自貢恐竜博物館に収蔵されている。大山舗累の下沙溪廟累層(en)ではアブロサウルスおよび他に4種の竜脚類が発見されている。この地層の年代はジュラ紀中期バトン期からカローヴ期(1億6800万年前-1億6100万年前)と推定されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 22:30 UTC 版)
化石標本は完全に近い羽毛の印象の残った標本が1体知られる。それには赤みがかった黄色の小さな卵形の構造物が見られる。それらはこの恐竜の食べた卵、または木の実や種だと考えられる。もし後者ならばその歯の形からトロオドン科が草食あるいは雑食であるという仮説を支持することとなる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 08:13 UTC 版)
分類学や群集生態学の研究などに用いる標本を作るに際し、水生動物やダニの多くは採集した後にエタノールやホルマリンで固定するが、ミズダニ類の場合これらは適さず、専用の保存液をつくり、採集したものをこれに保存して液浸標本にする。ミズダニ保存液はグリセリン、氷酢酸、水を容積で10:1:9の割合で混合したものを用いる。ミズダニ保存液に入れたミズダニはいったん収縮してしまうが、2〜3日経つと膨れて体形は復元する。 またダニの同定や分類学の研究に際して形質を観察し、検討する場合、液浸標本を改めてプレパラート標本につくりなおす必要がある。これも多くのダニではガム・クロラール液やホイヤー液などのガム・クロラール系封入剤やカナダバルサムを用いるのが普通であるが、ミズダニ類ではこれとは異なる特殊な方法が用いられる。 まず先述の保存液に入れて1週間以上経た液浸標本を双眼実体顕微鏡で見ながら柄付き針と小型のメスで解剖し、側面から背腹に切り分けてから顎板、触肢、鋏角からなる口器と体の本体と分離する。口器は各々の構成要素を分離するが、小型種では鋏角を顎板から分離しなくてもよい。また顎板が脚の基部の基腹板と癒着している場合は、これを体の本体と分離しなくてよい。背腹に分離した体の本体からは内臓を抜き去る。こうして分けた体の各部を薄手のスライドガラスの上で濃いグリセリン・ゼラチンの小滴中に配置して凝固させ、その周りに円形カバーガラスと同じ大きさのグリセリン・ゼラチンの円形の土手を作った後にこの土手の内側を薄いグリセリン・ゼラチンで満たし、円形カバーガラスをかぶせて封入する。さらにカバーガラスの周囲にニスを塗って密封することで永久プレパラートとなる。また、完成したプレパラートを表裏の両面から観察できるよう、ひっくり返して顕微鏡のステージに載せたときに封入部分が保護されるよう、スライドガラスの表の左右両端に1/6に切断したスライドガラスを、水ガラスの液滴で貼り付ける。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/07 13:36 UTC 版)
「ハウフィオプテリクス」の記事における「標本」の解説
ハウフィオプテリクスは新基準標本 GPIT 1491/4 から知られており、この標本には頭部と軟組織が保存されている。全長は1.93メートルに達し、標本は約1億8200万年前のジュラ紀前期トアルシアン期にあたるドイツホルツマーデンのポシドニア頁岩の Harpoceras elegantulum-exaratum ammonoid subzones (さらに厳密には Lias ε II4)から回収された。ドイツのホルツマーデンおよびルクセンブルクのデュドランジュから出土した標本には、MHH '9'、WAT 1、SMNS 51552、SMNS 80225、SMNS 81965 がある。これらは上記の Harpoceras elegantulum-exaratum ammonoid subzones の Lias ε II1-5 から発見されている。 2011年にはハナ・カインとミッチェル・J・ベントンが、トアルシアン期初期にあたるイギリスのイルミンスターに位置する Strawberry Bank から出土した新たな標本を記載した。標本は全て幼体または乳児であり、ほぼ完全な骨格と頭骨を有していた。これらには BRLSI M1399、BRLSI M1400、BRLSI M1401、BRLSI M1403、BRLSI M1404、BRLSI M1406 が含まれる。なおBRLSI M1399 は Maisch が先に記載していた。 Maisch が記載した標本とイギリスから出土した標本から、ハイフィオサウルスがトゥンノサウルス類の基盤的な属またはユーリノサウルス類の属であることが示唆されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 08:39 UTC 版)
東海大学自然史博物館に、ステラーカイギュウの全身骨格標本が展示されている。これはロシアで捕獲されたものの複製である。 専門家によるステラーカイギュウの唯一の観察記録は、シュテラー自身によるものだが、鳥羽水族館では、これに基づいて、ステラーカイギュウの復元標本の作成が何度か試みられている。 2017年11月、コマンドルスキー諸島において、マリア・シトワらの研究チームが全長が5メートルを超えるほぼ完全な姿の骨格を発掘した。ジョージ・メイソン大学のローレライ・クレラーによれば、これはステラーが発見したものの置いて行かざるを得なかった個体かもしれないという。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 10:15 UTC 版)
「国立自然史博物館 (フランス)」の記事における「標本」の解説
収蔵数において本博物館を凌ぐのは、アメリカの国立自然史博物館とイギリスのロンドン自然史博物館の2館のみである。 鉱物標本:24万3000点 岩石標本:30万点 隕石:2000点 化石標本:200万点 陰花植物標本:700万点 顕花植物標本:800万点(模式標本45万点) 昆虫標本:1億5000万点 魚類・爬虫類:100万点 鳥類標本:20万点 哺乳類標本:15万点 ヒト頭蓋骨:3万5000点 先史時代の遺物:100万点 民族誌学上の事物:30万点 植物(生態):2万5000点 動物(生態):5000点
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 15:08 UTC 版)
「ブラックヒルズ地質学研究所」の記事における「標本」の解説
ブラックヒルズ研究所が発掘・所蔵した主な標本を列挙する。 ケルシー (トリケラトプス) スー (ティラノサウルス) スタン (ティラノサウルス) トリックス (ティラノサウルス) バッキー (ティラノサウルス) レイモンド (トリケラトプス) レイン (トリケラトプス) ワイレックス (ティラノサウルス)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:15 UTC 版)
「スチーフンイワサザイ」の記事における「標本」の解説
全部で15標本が知られている(先史時代の骨格はのぞく)。加えて、不確実だがさらに1標本の存在が示唆されている。 ロスチャイルド標本:全て1894年の7月から10月の間に採集されたもの。ロンドン自然史博物館(ロンドン):3標本 (NHM 1895.10.17.13; 1939.12.9.76; 1939.12.9.77) アメリカ自然史博物館(ニューヨーク):4標本 (AMNH AM 554502; AM 554503; AM 554504; AM 554505) 自然科学アカデミー(フィラデルフィア):1標本 (ANSP 108,631) ハーバード比較動物学博物館(マサチューセッツ州ケンブリッジ):1標本 (MCZ 249,400) ブラー標本:1894年から1899年にかけての頃に採集。カーネギー自然史博物館(ピッツバーグ):1標本 (CMNH 24639)。メス・1894年とブラー自筆によりラベルが記載されている。日付の食い違いを別にすれば、これは1895年8月にブラーが言及していたものである可能性があり、おそらく標本自体はブラーが調査する数ヶ月前に採集された。あるいはまた、Rothschild (1907)で述べられているように、ブラーが持っていた(彼は当初それがメスであると考えていた)ビートゥンの鳥の可能性もある。DNA解析は鳥類の性別を明らかにするぐらいなら可能かもしれない。 カンタベリー博物館(クライストチャーチ):(AV917 ; AV918) 1899年の日付がうたれたブラーの息子のコレクションからの対の標本である。この標本は1896年から1899年の間に得られたが、その日付より以前に採集された可能性がある。 World Museum(リヴァプール):1標本 (B 18.10.98.10)。ブラーによってトラヴァースからトリスタンのために購入されたもので、恐らくは1896年後半(しかしもう少し早く採集されている可能性もある)。1898年10月に博物館に売却された。 ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ(ウェリントン):1標本 (OR.005098)。データなしの剥製標本。1901年に売却されたトラヴァースの標本かまたは別の物か。この写真にはテ・パパ標本ともう一つの標本が写っている。おそらくオタゴ博物館標本かと思われるが詳細は不明である。 オタゴ博物館(ダニーデン):1標本。しかし、標本番号は2つ存在する (AV739 ; AV7577)。これは1905年に購入された一つの標本に2回番号をつけてしまったのか、それとも1標本が紛失したのか、明らかになっていない。 詳細不明:全て1894年か1895年初めに採集ビートゥンの標本:ブラーに記載のため貸し出され、その後おそらく返却された。もしそうならば、その標本は1895年から1897年の間にいまはテ・パパの一部となったColonial Museumに所蔵されたか、そうでないならば次に述べられているメス標本がそれかもしれない. 1895年8月にブラーが言及していたメスの標本、またはそのどちらも(両方ともカーネギー自然史博物館標本でないのなら)別の物である可能性もある. ライアルの最初の3標本のうち2標本(1つはビートゥンに渡した)の経過が不明のままである。それらはロスチャイルドの9標本に含まれているかもしれないし、ブラーの3標本にあるかもしれない。それらは1895年2月初めの時点ではブラーの所有になっていなかった。 1895年1月に触れられているトラヴァースの「失われた」標本。この標本が本当に失われたのかは定かではない。それは1895年11月に言及されたアルコール標本だったかもしれない。また、トラヴァースは単にこの鳥が絶滅して値がはね上がったときのためにわざと存在を隠していたのかもしれない。
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標本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 15:31 UTC 版)
準備の段階は解析方法の様式に左右され、のちの過程の殆どにそれが要求される。 透過処理は細胞の弱い界面活性剤による処理をしばしば含む。この界面活性剤処理は細胞膜を溶解し細胞内へ大きな色素分子を入れる事を可能にする。 固定は細胞や組織の形を可能な限り保存するための数段階からなる。殆どの固定液(化学的な固定)はタンパク質と他の基質の間の化学結合を生成してそれらの硬さを増す。通常の固定液にはホルムアルデヒド、エタノール、メタノール、そしてまたはピクリン酸を含む。組織の欠片は力学的な強さと安定さを増して薄く切り刻むのを容易にするためにパラフィンへ埋め込まれる。 マウンティングでは通常は観察と解析のためにスライドガラスへサンプルを貼り付け。いくつかの場合では、細胞を直接スライドガラスの上で圧挫して伸展させる。互いに結合せず遊離した細胞(血液塗抹や婦人科擦過細胞塗抹の場合)では、検体は直接スライドの上に置かれる。小さな個体や組織はそのままマウントすることがしばしばあり、これはホールマウント (whole mount) という。より大きな組織片では、薄い切片をミクロトームを用いて作る。これらの組織片はこうして切片にすることによってマウンティングと検査が可能となる。
※この「標本」の解説は、「染色 (生物学)」の解説の一部です。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 21:14 UTC 版)
スピノサウルスの部分的な標本は以下のものが記載されている。 BSP 1912 VIII 19 バハリヤ層から産出。シュトローマーにより1915年に記載されたホロタイプ標本。長さ75センチメートルにおよぶ左右の歯骨および板状骨(英語版)、左上顎骨の直線状の断片、20本の歯、2個の頸椎、7個の胴椎、3個の仙椎、1個の尾椎、4個の肋骨、腹肋骨から構成され、どの部位も不完全である。9個の神経棘のうち最長のものは長さ1.65メートルに達する。シュトローマーは、この標本が約9700万年前にあたる前期セノマニアン期のものであると主張した。 この標本はドイツのミュンヘンに位置する古生物学博物館(英語版)に所蔵されていたが、第二次世界大戦中であった1944年4月24日から25日にかけてのイギリス軍による爆撃で破壊された。これによりスピノサウルスの研究は長く停滞することになった。 しかし、詳細な絵と写真は現存している。1995年にシュトローマーの息子が父のアーカイブを同館に寄贈し、2000年にはスミスらが写真に基づくホロタイプ標本の研究を行った。スミスは、下顎の写真と装着された標本全体の写真を元に、1915年にシュトローマーが描いたオリジナルの図面はわずかに不正確であると結論づけた。2003年にオリバー・ローハットはシュトローマーのホロタイプ標本がアクロカントサウルスに似たカルカロドントサウルス科の神経棘とバリオニクスあるいはスコミムスの歯骨のキメラであると提唱したが、少なくとも一つ以上の後続研究でこの見解は棄却されている。 NMC 50791 カナダ自然博物館(英語版)所蔵。モロッコのケムケム単層(英語版)から産出した、長さ19.5センチメートルの中央部の頸椎。1996年にラッセルが記載した Spinosaurus maroccanus のホロタイプ標本である。記載論文では2つの中央部の頸椎(NMC 41768 と NMC 50790)、歯骨の前側断片(NMC 50832)、歯骨の中央断片(NMC 50833)、1個の胴椎の神経弓(NMC 50813)もS. maroccanusに割り当てられている。ラッセルは詳細な産地情報を明かしておらず、年代はおそらくアルビアン期としている。 MNHN SAM 124 フランスのパリに位置する国立自然史博物館所蔵。吻部(部分的な前上顎骨・部分的な上顎骨・鋤骨・歯骨の断片)の標本である。Taquet と Russell により1998年に記載されている。幅13.4 - 13.6センチメートルで、長さは記載されていない。アルジェリアから産出しており、年代はアルビアン期とされる。Taquet と Russell は、この標本が前上顎骨の断片(SAM 125)と2個の頸椎(SAM 126–127)および胴椎の神経弓(SAM 128)と共に S. maroccanus に分類可能と考えている。 BM231 チュニジアのチュニスに位置する Office National des Mines が所蔵。2002年に Buffetaut と Ouaja が記載。チュニジアのChenini累層 (en) のアルビアン階から産出した部分的な前側歯骨で、長さは11.5センチメートル。4個の歯槽と2本の部分的な歯が残されており、'S. aegyptiacusの現存する標本と酷似する。 UCPC-2 シカゴ大学の古生物コレクションに所蔵されている。目の間から隆起する鶏冠を備えた、結合した狭い左右の鼻骨から構成される。長さ18センチメートル。1996年にモロッコのケムケム単層の前期セノマニアン階の部分から収集され、2005年にイタリアのミラノ市立自然史博物館に所属するクリスティアーノ・ダル・サッソ(英語版)らにより記載された。 MSNM V4047 ミラノ市立自然史博物館所蔵。ケムケム単層から産出し、2005年にダル・サッソらにより記載された標本。前上顎骨と部分的な歯骨および部分的な鼻骨から構成され、長さ98.8センチメートル。UCPC-2 と同様に、前期セノマニアン期のものと考えられる。2018年に Arden らはそのサイズからこの標本を暫定的にSigilmassasaurus brevicollis に再分類したが、対応する部位が存在しないため、どちらの分類群に属するかの判断は難しい。 FSAC-KK 11888 ケムケム単層から収集された亜成体の部分的な骨格。化石コレクターにより発掘されていたが、S. aegyptiacusのホロタイプに代わる標本を発見すべくシュトローマーの足取りを追っていたニザール・イブラヒム(英語版)がコレクターの存在を知り、2013年にコレクターの居場所と産地を突き止めて層準などの情報が明らかになった。イブラヒムらにより2014年に記載され、ネオタイプ標本に指定されたが、2015年にエヴァースらがこの指定を棄却している。標本には頸椎・胴椎・神経棘・完全な仙骨、両大腿骨、両脛骨、趾骨、尾椎、肋骨、頭骨断片が含まれる。 その他の既知の標本は、より断片的な骨や単離した歯などで構成される。 Buggetaut et al. (1989) では、チュニジアから産出した2本のスピノサウルスの歯のエナメル質の構造が記載された。 Buffetaut (1989, 1992) では、ドイツのゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンの博物館の3つの標本が言及された。それぞれ上顎骨の断片(IMGP 969-1)、顎の断片(IMGP 969-2)、歯(IMGP 969-3)である。これらは1971年にモロッコ南東部の上部アルビアン階あるいは下部セノマニアン階で発見された。 Kellner and Mader (1997) では、鋸歯を持たないモロッコ産のスピノサウルス科の2本の歯化石(LINHM 001 and 002)が記載され、S. aegyptiacus のホロタイプ標本に類似するとされた。 Benton et al. (2000) では、チュニジアのChenini累層から産出した歯がスピノサウルスのものとされた。この歯は狭く、断面がある程度の丸みを帯びていて、獣脚類や基盤的主竜類に特徴的な鋸歯が前側と後側に存在しなかった。 Brusatte and Sereno (2007) では、ニジェールのEchkar累層 (en) から産出した歯がスピノサウルスに割り当てられた。 Hasegawa et al. (2010) によると、化石展で購入された長さ8センチメートルの部分的な歯は、モロッコのケムケム単層から産出した S. maroccanus のものとされた。幅1 - 5ミリメートルの縦筋と、その間に不規則な稜が見られた。 MHNM.KK374 to.KK378 はモロッコ南東部のケムケム地方で地元住民の採取や売買により入手された、大きさの異なる5つの単離した方形骨である。François Escuillié に寄贈され Muséum d’Histoire Naturelle of Marrakech のコレクションに加えられた。これらの方形骨は2種類の異なる形状を示しており、モロッコに2種のスピノサウルスが生息していたことが示唆される。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 14:52 UTC 版)
「Brevicaudosaurus jiyangshanensis」の記事における「標本」の解説
ホロタイプ(正基準標本)IVPP V 18625 : 上記十八連山鎮にある向斜層の東側にある祭羊山採石場(北緯25.108度東経104.684度)で発掘された。 パラタイプ(従基準標本)IVPP V 26010 : 上記向斜層の西側にある大箐頭採石場(北緯25.126度東経104.687度)で発掘された。
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回収された隕石標本のうち主なものは、エイムズ研究センター、アリゾナ州立大学、フィールド自然史博物館、アリゾナ大学月惑星研究所、ニューメキシコ大学などが保管している。 サッターズミル隕石の破片の一つSM39(重さ2.5グラム) サッターズミル隕石の破片の一つSM49(重さ5.9グラム) パリの国立自然史博物館の企画展で2017年10月から2018年6月まで展示されたサッターズミル隕石の破片。
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「ハプロカントサウルス」の記事における「標本」の解説
ハプロカントサウルスの標本は4つ知られている:H.delfsiのものが一つ、3つがH.priscusのものである。これらのうちH.delfsiのタイプ標本のみが マウントするのに十分な完全なものである。マウントされているH.delfsiの標本は、実際の頭骨が発掘されていないので、完全に推測的なレプリカの頭骨であるが 、クリーブランド自然史博物館に展示されている。層序の領域の1,2そして4に存在する。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 03:51 UTC 版)
「ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館」の記事における「標本」の解説
ロスチャイルドの死亡時に遺されたコレクションのリストは以下のようなものだった。 哺乳類剥製標本:2000点 鳥類剥製標本:2000点 鱗翅目標本:200万点 鳥類仮剥製標本:30万点 ゾウガメ標本:144点 卵殻標本:20万組 関連書籍:3万点 これはもちろん決して少ない数ではなく、特に個人の収集品であることを考えると驚くべき量である。しかし、ロスチャイルドは亡くなる5年前の1932年に彼の鳥類仮剥製の大部分をニューヨークのアメリカ自然史博物館に売却している。つまり、ロスチャイルドが収集した標本の総数はこれより遙かに多い物だった。彼が売却した鳥類コレクションは現在もアメリカ自然史博物館に所蔵されている。 ロスチャイルド以降の研究者・博物館関係者の絶え間ない努力により、現在では鳥類標本コレクションは115万点に上る。この総数は現在も少しずつ増加中である。 液浸標本 17000点の液浸標本が変性アルコール80%溶液に保存されて収蔵されており、場合によっては解剖も可能なように内部器官も一緒に体全体が保存されている。標本の最古の物は1760年代から1770年代にかけて行われたジェームズ・クックの探検によってもたらされた物である。 骨格標本 骨格標本は15000点あるが、組立骨格はその中のほんの一部である。多くは分離骨格の状態で箱に入れられ、厳重に保管された標本棚に収められている。 仮剥製標本 仮剥製標本は70万点にのぼり、チャールズ・ダーウィンのガラパゴス諸島行やクックの探検で得られた物も含まれる。温度湿度を厳重に管理された光の差さない標本棚に保管されているため、その羽毛は生きていたときと変わらない色彩を半永久的に残している。 その他 コレクションには上記の他に、40万組の卵殻標本や4000点の巣も含まれる。
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標本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 01:51 UTC 版)
現存する標本は5体で、その全てを東海大学海洋科学博物館が所有し、特別展示されている。
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標本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:36 UTC 版)
上顎と下顎を含む頭骨断片が発見されており、吻部の先端や後頭部は欠損している。長さ30センチメートル、高さ22センチメートル、幅は18センチメートルに及ぶ。標本には左の眼窩が残されているほか、上下合わせて左側に10本、右側に7本の歯が確認されている。
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標本
「標本」の例文・使い方・用例・文例
- 植物標本
- 珍しい昆虫の標本
- 野生の花の標本
- この汚れた川から水の標本をとる必要がある
- 彼らは標本を極低温で保存した。
- 彼はそれらの標本に血液学的な分析を行った。
- これらの構成要素のために選ばれた副次標本は不作為抽出された。
- 彼女は押し葉標本集にするための植物を探していた。
- 1895年に設立された大学の植物標本館は世界中の植物の標本を所蔵している。
- 2つの標本の大きさは等しい。
- これらの標本を作製する必要は無かった。
- 私たちはほ乳類の標本を集めています。
- 蝶の標本を集めることに興味があります。
- 表の標本を使います
- 標本はいくつですか。
- たとえば、標本はいくつですか。
- これらの標本はいくつかの種類に分類される。
- 岩石の標本における金の含有量の測定.
- りっぱな標本.
- (顕微鏡の)スライドに標本を載せる.
標本と同じ種類の言葉
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