1952年スイスグランプリ
(XII Groser Preis der Schweiz から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
| 1952年のF1世界選手権全8戦の第1戦 | |||
|
ブレムガルテン・サーキット レイアウト
|
|||
| 日程 | 1952年シーズン第1戦 | ||
| 決勝開催日 | 5月18日 | ||
| 正式名称 | XII Groser Preis der Schweiz | ||
| 開催地 | ブレムガルテン・サーキット スイス、ベルン |
||
| コース長 | 7.280 | ||
| レース距離 | 451.360 | ||
| 決勝日天候 | Sunny | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | フェラーリ | ||
| タイム | 2:47.5 | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー | |
フェラーリ | |
| タイム | 2:49.1 (46周目) | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 | フェラーリ | ||
| 2位 | フェラーリ | ||
| 3位 | ゴルディーニ | ||
1952年スイスグランプリ (XII Groser Preis der Schweiz) は、1952年5月18日にブレムガルテン・サーキットで開催されたフォーミュラ2のレース。このレースは1952年のF1世界選手権の開幕戦でもあったが、通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、1952年と1953年はフォーミュラ2のレギュレーションが適用された。
戦前のグランプリで活躍していたルドルフ・カラツィオラが、このGPのサポートレースで大クラッシュする。彼は足を骨折しただけで助かったが、事実上この怪我でレースキャリアが終了した。彼はメルセデス・ベンツ・300SLをドライブしたが、コーナーでブレーキがロックしコースから外れ木に激突した。
イタリア人ドライバーのピエロ・タルッフィはフェラーリをドライブし、世界選手権における唯一の勝利を得た。
レース概要
世界選手権大会からアルファロメオが撤退したことで、現行レギュレーションの下ではフェラーリのみが競争力を持ったチームであった。従って、選手権はフォーミュラ2のレギュレーションで行われることがで決定した。
ワークスフェラーリはスイスGPに3名のドライバー、ファリーナ、タルッフィ、シモンを起用した。レギュラードライバーのアルベルト・アスカリとルイジ・ヴィッロレージは参加できなかった。アスカリはインディ500参戦のため、ヴィッロレージは交通事故に遭ったためであった。その他フェラーリをドライブしたのはルディ・フィッシャー、エキュリー・エスパドンのペーター・ヒルト、ベテランフランス人ドライバーのルイ・ロジェであった。ゴルディーニもこのレースで3名のドライバー、ロベール・マンヅォン、プリンス・ビラ、ジャン・ベーラを起用した。ベーラはこれがデビュー戦であった。HWMは前年スイスGP以来の復帰で、イギリス人ドライバー4名、アベカシス、コリンズ、マックリン、モスを起用した。マセラティはディフェンディングチャンピオンのファン・マヌエル・ファンジオとフロイラン・ゴンザレスのアルゼンチン人コンビを起用する予定であったがこれは実現しなかった。この他AFMがハンス・スタックを起用し、ンこりは様々なプライベーターが参加した。
前アルファロメオドライバーのニーノ・ファリーナがポールポジションを獲得、タルッフィとマンヅォンが続いてフロントローを形成した。シモンとフィッシャーが2列目、コリンズ、ベーラ、エンリコ・プラーテのマセラティをドライブするトゥーロ・デ・グラッフェンリートが3列目に並んだ。
ポールシッターのファリーナは車が故障するまでレースをリードした。ファリーナはリタイアした後、シモンの車を引き継いでドライブした。モスはレース序盤、ファリーナとタルッフィに続いて3位を走行した。メインのバトルはベーラとシモンの2位争いであった。ベーラのエキゾーストが外れ、ピットストップするとファリーナが引き継いで2位を走行した。しかしながら更なるトラブルのため、51ラップ目に再びリタイアすることとなる。これによって地元ドライバーのルディ・フィッシャーが2位に浮上した。フィッシャーは初の表彰台で、タルッフィにラップされなかった唯一のドライバーであった。タルッフィは自身初で、唯一の優勝であった。ベーラが3位に入り、デビュー戦で表彰台を獲得した。ケン・ウォートンが4位、アラン・ブラウンが5位に入り、フレイザー・ナッシュとクーパーにそれぞれ初のポイントをもたらした[1]。
エントリーリスト
| No | ドライバー | チーム | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | AFM | AFM-クッヒェン | AFM 6 | クッヒェン 2.0 V8 | E | |
| 4 | トニ・ウルメン | ヴェリタス | ヴェリタス・メテオール | ヴェリタス 2.0 L6 | D | |
| 6 | エキップ・ゴルディーニ | ゴルディーニ | ゴルディーニ・T16 | ゴルディーニ 20 2.0 L6 | E | |
| 8 | ゴルディーニ | ゴルディーニ・T16 | ゴルディーニ 20 2.0 L6 | E | ||
| 10 | シムカ・ゴルディーニ | シムカ-ゴルディーニ・T15 | ゴルディーニ 1500 1.5 L4 | E | ||
| 12 | エキュリー・ロジェ | フェラーリ | フェラーリ・500 | フェラーリ Type 500 2.0 L4 | D | |
| 14 | フェラーリ | フェラーリ・166F2-50 | フェラーリ 125 F1 1.5 V12 | P | ||
| 16 | HWモータース | HWM-アルタ | HWM 52 | アルタ F2 2.0 L4 | D | |
| 18 | HWM-アルタ | HWM 52 | アルタ F2 2.0 L4 | D | ||
| 20 | HWM-アルタ | HWM 52 | アルタ F2 2.0 L4 | D | ||
| 22 | スクーデリア・フラネラ | フレイザー・ナッシュ-ブリストル | フレイザー・ナッシュ FN48 | ブリストル BS1 2.0 L6 | D | |
| 24 | エキュリー・リッチモンド | クーパー-ブリストル | クーパー・T20 | ブリストル BS1 2.0 L6 | D | |
| 26 | クーパー-ブリストル | クーパー・T20 | ブリストル BS1 2.0 L6 | D | ||
| 28 | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | フェラーリ・500 | フェラーリ Type 500 2.0 L4 | P | |
| 30 | フェラーリ | フェラーリ・500 | フェラーリ Type 500 2.0 L4 | P | ||
| 32 | フェラーリ | フェラーリ・500 | フェラーリ Type 500 2.0 L4 | P | ||
| 34 | オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ | マセラティ | マセラティ・A6GCM | マセラティ A6G 2.0 L6 | P | |
| 36 | マセラティ | マセラティ・A6GCM | マセラティ A6G 2.0 L6 | P | ||
| 38 | エンリコ・プラーテ | マセラティ-プラーテ | マセラティ・4CLT-48 | プラーテ 2.0 L4 | P | |
| 40 | マセラティ-プラーテ | マセラティ・4CLT-50 | プラーテ 2.0 L4 | P | ||
| 42 | エキュリー・エスパドン | フェラーリ | フェラーリ・500 | フェラーリ Type 500 2.0 L4 | P | |
| 44 | フェラーリ | フェラーリ・212 | フェラーリ Type 375 4.5 V12 | P | ||
| 46 | HWモータース | HWM-アルタ | HWM 52 | アルタ F2 2.0 L4 | D | |
| 50 | アルフレッド・ダットナー | シムカ・ゴルディーニ | シムカ-ゴルディーニ・T11 | ゴルディーニ 1500 1.5 L4 | E | |
| Sources:[2][3] | ||||||
- ^1 - アンドレ・シモンはフェラーリ32番車で予選と決勝の21ラップを走行した。ニーノ・ファリーナが自身の車でリタイアした後シモンの車を引き継ぎ、30ラップを走行したが、再びリタイアした[4]。
- ^2 - ファン・マヌエル・ファンジオとフロイラン・ゴンザレスは車が到着せず、プラクティス前に撤退した[5]。
- ^3 - ペーター・ヒルトはフェラーリ44番車で予選と決勝を走行した。ルドルフ・シェーラーは予備のドライバーとしてリストされたが、ドライブすることはなかった[6]。
- ^4 - マックス・デ・テラはシムカ-ゴルディーニ50番車をドライブした。アルフレッド・ダットナーも同車のドライバーとしてエントリーしていたが、病気のため参加できなかった[5]。
結果
予選
| 順位 | No | ドライバー | チーム | タイム | 差 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 28 | フェラーリ | 2:47.5 | - | |
| 2 | 30 | フェラーリ | 2:50.1 | + 2.6 | |
| 3 | 8 | ゴルディーニ | 2:52.1 | + 4.6 | |
| 4 | 32 | フェラーリ | 2:52.4 | + 4.9 | |
| 5 | 42 | フェラーリ | 2:53.3 | + 5.8 | |
| 6 | 18 | HWM-アルタ | 2:55.9 | + 8.4 | |
| 7 | 6 | ゴルディーニ | 2:55.9 | + 8.4 | |
| 8 | 38 | マセラティ-プラーテ | 2:56.4 | + 8.9 | |
| 9 | 46 | HWM-アルタ | 2:56.4 | + 8.9 | |
| 10 | 16 | HWM-アルタ | 2:56.9 | + 9.4 | |
| 11 | 10 | シムカ・ゴルディーニ | 2:59.3 | + 11.8 | |
| 12 | 20 | HWM-アルタ | 3:00.2 | + 12.7 | |
| 13 | 22 | フレイザー・ナッシュ-ブリストル | 3:00.9 | + 13.4 | |
| 14 | 2 | AFM-クッヒェン | 3:01.7 | + 14.2 | |
| 15 | 26 | クーパー-ブリストル | 3:02.5 | + 15.0 | |
| 16 | 4 | ヴェリタス | 3:05.6 | + 18.1 | |
| 17 | 24 | クーパー-ブリストル | 3:05.8 | + 18.3 | |
| 18 | 40 | マセラティ-プラーテ | 3:07.6 | + 20.1 | |
| 19 | 44 | フェラーリ | 3:10.2 | + 22.7 | |
| 20 | 12 | フェラーリ | No time | - | |
| 21 | 50 | シムカ・ゴルディーニ | No time | - | |
| 22 | 14 | フェラーリ | No time | - |
決勝
| 順位 | No | ドライバー | チーム | 周回 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 30 | フェラーリ | 62 | 3:01:46.1 | 2 | 9 | |
| 2 | 42 | フェラーリ | 62 | +2:37.2 | 5 | 6 | |
| 3 | 6 | ゴルディーニ | 61 | +1 lap | 7 | 4 | |
| 4 | 22 | フレイザー・ナッシュ-ブリストル | 60 | +2 laps | 13 | 3 | |
| 5 | 26 | クーパー-ブリストル | 59 | +3 laps | 15 | 2 | |
| 6 | 38 | マセラティ-プラーテ | 58 | +4 laps | 8 | ||
| 7 | 44 | フェラーリ | 56 | +6 laps | 19 | ||
| 8 | 24 | クーパー-ブリストル | 55 | +7 laps | 17 | ||
| リタイア | 10 | シムカ・ゴルディーニ | 52 | エンジン | 11 | ||
| リタイア | 32 | フェラーリ | 51 | マグネトー | 4 | ||
| リタイア | 40 | マセラティ-プラーテ | 31 | エンジン | 18 | ||
| リタイア | 46 | HWM-アルタ | 24 | 撤退 | 9 | ||
| リタイア | 20 | HWM-アルタ | 24 | 撤退 | 12 | ||
| リタイア | 8 | ゴルディーニ | 20 | ラジエター | 3 | ||
| リタイア | 28 | フェラーリ | 16 | マグネトー | 1 | ||
| リタイア | 18 | HWM-アルタ | 12 | ハーフシャフト | 6 | ||
| リタイア | 16 | HWM-アルタ | 12 | ハーフシャフト | 10 | ||
| リタイア | 2 | AFM-クッヒェン | 4 | エンジン | 14 | ||
| リタイア | 4 | ヴェリタス | 4 | 燃料漏れ | 16 | ||
| リタイア | 12 | フェラーリ | 2 | アクシデント | 20 | ||
| リタイア | 50 | シムカ・ゴルディーニ | 1 | マグネトー | 21 | ||
| DNS | 14 | フェラーリ | 0 | エンジン | 22 |
注
- ポールポジション:ニーノ・ファリーナ - 2:47.5
- ファステストラップ:ピエロ・タルッフィ - 2:49.1
- モスとマックリンはレースから撤退した。
- シモン(18ラップ)はファリーナ(33ラップ)がリタイアした後を引き継いだ。
第1戦終了時点でのランキング
| 順位 | ドライバー | ポイント |
|---|---|---|
| 1 | 9 | |
| 2 | 6 | |
| 3 | 4 | |
| 4 | 3 | |
| 5 | 2 |
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。
参照
- ^ “Swiss GP, 1952 Race Report”. Grandprix.com. 2012年8月14日閲覧。
- ^ “1952 Swiss Grand Prix - Race Entries”. manipef1.com. 2012年5月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年12月11日閲覧。
- ^ “1952 Swiss GP - Entry List”. chicanef1.com. 2013年12月11日閲覧。
- ^ “Swiss Grand Prix 1952 - Results”. ESPN F1. 2014年1月10日閲覧。
- ^ a b “Switzerland 1952 - Result”. statsf1.com. 2014年1月10日閲覧。
- ^ “Switzerland 1952 - Race entrants”. statsf1.com. 2014年1月10日閲覧。
- “The Official Formula 1 website”. 2009年11月30日閲覧。
| FIA F1世界選手権 1952年シーズン |
次戦 1952年インディ500 |
|
| 前回開催 1951年スイスグランプリ |
次回開催 1953年スイスグランプリ |
「XII Groser Preis der Schweiz」の例文・使い方・用例・文例
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- Jeb Andersonは現在シドニーにいる。
- 6 月4 日―Mertonスタジアムの取り壊しに伴い、6 月15 日から3 週間に渡り、Central通りとMerton通りの間と、9 番通りと11 番通りの間の全区域が通行止めになると、Bordertown交通局(BTA)が火曜日に発表した。
- Mozilla Foundationは5月1日、メール/ニュースクライアントソフトの最新版「Thunderbird 2.0.0.14」をリリースした。
- 混合様式 《古代ローマ建築の様式で, イオニア様式 (Ionic order) とコリント様式 (Corinthian order) の折衷様式》.
- 戦争そのものを愛して戦争をしたのは Alexander and Charles 12
- 英国では『cinder blocks(軽量コンクリートブロック)』を『breeze blocks』という
- パリで、地下鉄システムは『metroメトロ』と呼ばれている、そして、ロンドンで、それは『tubeチューブ』または『underground地下鉄』と呼ばれる
- ペニシリンV(商標名Ledercillin VK)の形
- ヘイゼルナッツ木(属ハシバミ)とハシバミの木(オーストラリアのPomaderris属)の微粒子木
- 食用の肉のベリーがbladderlike殻に同封した類概念Physalisベアリングの多数の世界的な年に一度の、または、多年草のハーブのいずれも
- XII Groser Preis der Schweizのページへのリンク
