Panzerbüchse 39(PzB39)
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「パンツァービュクセ」の記事における「Panzerbüchse 39(PzB39)」の解説
PzB38の運用実績を基に設計された全面改良型。ほぼ全金属製で機関部が大型であったPzB38に対し、機関部が小型化された上に先台が木製とされるなど全体を軽量化し、自動排莢機構を廃止して構造を簡略化、単純な手動単発式となっている。グストロフ・ヴェルケ社により設計され、グストロフ社、及びラインメタル社とシュタイア・ダイムラー・プフ社の3社により1940年10月から本格生産が開始され、1941年11月までに計39,232梃が生産された。 PzB38と異なり装弾/排莢共に手動だが、遊底操作ハンドルの類はなく、銃把部分がコッキングレバーを兼ねた構造になっており、銃把全体を前下方向に開くように押すと閉鎖が解かれ、閉鎖器が下降するとともに撃針がコッキングされて固定され、装填準備状態となる。射手が閉鎖器上部を覆うカバーを右側に開いた後、薬室に弾薬を装填し、開放前進状態の銃把部分を後上方へ引くと、閉鎖器が上昇して再び閉鎖され、撃発準備完了となる。閉鎖器後方には安全装置のレバーがあり、右側に回せば安全位置、左側に回せば安全位置となる。射撃後は再び銃把全体を前下方向に開けば閉鎖器が下降して薬莢が排出され、装填準備状態となる。 銃身後座機能が廃止されたためにリコイルスプリングがなく、発射時の反動がそのまま銃本体と射手に伝わるため、反動を軽減するために消炎器は単純なラッパ型のものから反動軽減機能のあるマズルブレーキに変更された。銃床はPzB38の側面折り畳み方式から、銃床基部左側にある固定解除ボタンを押してロックを解除し、銃の下側へ前方へ回すように折り畳む方式に変更されている。二脚はPzB38と同じくMG34機関銃と同じものが流用されていた。 全長:162cm(銃床折畳時:125.5cm)銃身長:108.5cm 重量:12.6kg 銃口初速:1210m/秒 威力:100mの距離で30mmの装甲板を貫通 発射速度:12発/分(実用最大速度)
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「Panzerbüchse 39」の例文・使い方・用例・文例
- ドイツは1939年ポーランドに侵入した
- 539便デトロイト行き
- 登録するには、(352) 112-3944 までお電話をいただくか、コミュニティーセンターのウェブサイトから登録用紙をダウンロードして、Addo通り948 番地、Mephisto、AZ85002 まで郵送してください。
- 私は先週、39度の熱と悪い咳がありました。
- 39位
- 39歳
- (ニューヨークの) 39 番街と 5 番街の交差点に[で].
- 彼は 39 ストロークでアウトを終了した.
- (ニューヨークの)西 39 番街.
- 同社が合成繊維を商品として生産を開始したのは 1939 年のことである.
- ヒトラーは1939年9月1日にポーランドを攻撃して、第二次世界大戦を始めた
- ドイツ人は、1939年9月1日にポーランドを襲った
- ヒトラーは1939年9月1日にポーランドを侵略した
- 連合国軍(オーストリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、カナダ、中国、コロンビア、コスタリカ、キューバ、チェコスロバキア、ドミニカ共和国、エルサルバドル、エチオピア、フランス,ギリシア、ガテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インド、イラン、イラク、ルクセンブルグ、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウエイ、パナマ、フィリピン、ポーランド、南アフリカ、英国、米国、ソビエト連邦、ユーゴスラビア)対枢軸国軍(アルバニア、ブルガリア、フィンランド、ドイツ、ハンガリー、イタリア、日本、ルーマニア、スロバキア、タイ)の1939年から1945年の戦い
- 139小節の不調和音を調律する
- 順序を数える際の序数39
- ヒトラーがポーランドへ侵攻した1939年に第二次世界大戦がはじまった
- 核分裂(重要素(ウラニウム235またはプラトニウム239)の核を分裂させること)によって莫大なエネルギーが放出される核兵器
- 紀元前539年以降(バビロン捕囚以降)のユダヤ人の歴史の期間の、または、ユダヤ人の歴史の期間に関する
- 火薬によって圧縮されると核分裂を引き起こすプルトニウム239を含む鋼鉄あるいはベリリウムの球
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