P-1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 06:57 UTC 版)
「ロサンゼルス鉄道P形電車」の記事における「P-1形」の解説
1936年から1937年の2度に渡ってセントルイス・カー・カンパニーに発注が行われた、ロサンゼルス鉄道最初のPCCカー。合計95両(3001 - 3095)が導入され、全車とも車体下半分がクロムイエロー、上半分がレモンイエローの新塗装で登場した。機器や導入年度の違いにより、以下の3種類に分けられる。 3001 - 3020 - 1936年に発注。機器はウェスチングハウス・エレクトリック(WH)製。 3021 - 3060 - 1936年に発注。機器はゼネラル・エレクトリック(GE)製。 3061 - 3095 - 1937年に発注。当初の計画では100両を導入する予定だったが、予定を変更し35両に縮小した。機器はGE製。 最初に導入された3001・3002は1937年7月26日からの営業運転に先立ち、同年5月23日に一般市民を対象にしたお披露目式で展示された。またこの2両の前面窓は運転台に差し込む日差しが問題視された事で納入直後に傾斜がつけられ、以降の車両も同様の形状で導入された。製造当初は車掌が乗務していたが、1941年以降はワンマン運転に用いられた。
※この「P-1形」の解説は、「ロサンゼルス鉄道P形電車」の解説の一部です。
「P-1形」を含む「ロサンゼルス鉄道P形電車」の記事については、「ロサンゼルス鉄道P形電車」の概要を参照ください。
P1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 06:45 UTC 版)
「ミュンヘン市電P形電車」の記事における「P1形」の解説
1950年代、ミュンヘンでは都市部の交通量の増加による混雑やそれに伴う路面電車を始めとした公共交通機関の速度低下に対応するべく、地下鉄を建設する計画が進められていた。当初、ミュンヘン市内に建設する地下鉄は路面電車と同規格とし、市内は地下区間、郊外は路面区間を走行する事が検討されていた。そこで、将来の地下鉄運用に適した車両として1959年から1960年にかけて2両(101、102)が試作されたのがP1形(P1.65形)で、その長い車体から伝説上の怪物にちなみ「タッツェルブルム」とも呼ばれていた。 基本的な構造は3軸車であるM形電車(ドイツ語版)(M5形)に準拠しており、ステアリング機能を備えた台車付きの車体が小型のフローティング車体を挟む3車体連接構造を有していた。乗降扉は車体右側、前後車体に2箇所、中間車体に1箇所設置されており、ミュンヘン市電で初めて外開きのプラグドアが採用された。また、キーペ(ドイツ語版)製の電空協調制御装置が搭載され、複数の車両を繋いだ総括制御運転も可能となっていた。 製造後はミュンヘン市電の各系統で営業運転に使用されたが、その実績を検討した結果、以下の要因でP1形の量産は断念された。 設計当初車掌の数を1人に削減する事が計画されていたが、導入時の運賃徴収システムでは困難であり、実際の営業運転時には車掌が2人必要となった。 M形による2両編成(6箇所)に比べて乗降扉が少なく、乗客の流動性が悪化した。 M形と比べてメンテナンス作業の工程が複雑化し、費用も高額となった。 次項で述べるP2形やP3形の量産が進む中で構造が他車と異なるP1形は余剰となり、末期はラッシュ時のみの運用となった。そして101は1972年に事業用車両に転用され、102は以降も営業運転に使用されたが1975年に営業運転を退いた。その後、101は1976年に解体された一方、102はハノーファー路面電車博物館(ドイツ語版)の収蔵品を経て2015年にミュンヘンのMVG博物館(ドイツ語版)への移設が行われ、将来的な動態復元へ向けての作業が進められている。
※この「P1形」の解説は、「ミュンヘン市電P形電車」の解説の一部です。
「P1形」を含む「ミュンヘン市電P形電車」の記事については、「ミュンヘン市電P形電車」の概要を参照ください。
- P-1形のページへのリンク