21世紀初頭の低迷期
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「バッファロー・ビルズ」の記事における「21世紀初頭の低迷期」の解説
1998年、チームには2人のQBが加わった。1人はジャガーズの控えQBだったロブ・ジョンソン、もう1人はハイズマン賞を受賞しCFLのスター選手となっていたダグ・フルーティである。トレーニングキャンプやプレシーズンゲームではフルーティの方が良い成績を収めたが新ヘッドコーチのウェイド・フィリップスはジョンソンをエースQBとした。しかしジョンソンはシーズン途中で負傷したため、以降はフルーティが先発QBとなった。この年チームはプレーオフに進出し、ドルフィンズとの試合ではエリック・モールズがレシーブで240ヤード獲得のプレーオフにおけるチーム記録を作ったが敗れた。 1999年は11勝5敗だったが、インディアナポリス・コルツに続く地区2位となりプレーオフに出場。この年10勝をあげたフルーティに代えてヘッドコーチは先発QBにジョンソンを起用したがテネシー・タイタンズに敗れた。この試合ビルズは残り16秒で41ヤードのFGを決めて16-15とリードしたが、直後のキックオフされたボールをラテラルパスされるなどしてリターンタッチダウンをあげられて敗戦した (Music City Miracle)。この試合終了後、チームのスペシャルコーチを13年間続けていたブルース・ディヘイブンは解任された。翌2000年、サーマン・トーマス、ブルース・スミス、アンドレ・リードが全て契約を打ち切られチームは8勝8敗だった。 2001年、チームを退団しサンディエゴ・チャージャーズに加入した元ゼネラルマネージャーのジョン・バトラーによりフルーティが引き抜かれ、長く続いたジョンソンとフルーティの先発QB争いに終止符が打たれた。ビルズ時代のフルーティは31試合に先発し21勝10敗だった。またヘッドコーチのフィリップスも退団しグレッグ・ウィリアムスが後任となった。バトラーの後任には1990年代にピッツバーグ・スティーラーズの再建に力を尽くしたトム・ドナヒューが就任した。アントワン・スミスはペイトリオッツに移籍してチームのスーパーボウル制覇に貢献した。この年、ロブ・ジョンソンが負傷し、アレックス・ヴァンペルトが代わりに先発したが3勝13敗に終わった。アンドレ・リードはこの年現役を引退した。 2002年4月、ペイトリオッツで先発QBの座をトム・ブレイディに奪われたドリュー・ブレッドソーを翌年のドラフト1巡目指名権と引き替えに獲得した。またユニフォームを18年ぶりに新しいデザインに変更した。この年の成績は8勝8敗と持ち直したが他チームが全て9勝7敗だったため地区最下位に終わった。 2003年、チームにはシンシナティ・ベンガルズヘッドコーチだったディック・ルボーがアシスタントコーチとして加入した。スーパーボウルをこの年制したペイトリオッツを開幕戦で31-0で破ったが、最終的にはシーズン6勝10敗に終わった。3シーズンの間チームをプレーオフに導けなかったヘッドコーチのウィリアムスは解任され、2004年からのヘッドコーチにはマイク・ムラーキーが就任した。 2004年、チームは開幕から4連敗し平均13得点しかあげられなかった。同じく開幕4連敗していたドルフィンズに勝利し、続く9試合で7勝をあげてプレーオフ争いをしたが最終週に敗れてプレーオフ出場を逃した。シーズン終了後、チームはブレッドソーを解雇した。2005年、開幕からJ・P・ロスマンを先発QBに起用したが1勝3敗になったところでケリー・ホルコムが先発QBに昇格した。第10週のカンザスシティ・チーフス戦でホルコムが負傷するとロスマンがリリーフし、その試合に勝って先発の座に戻ったが、その後数試合の敗戦を経てホルコムが起用された。第13週のマイアミ・ドルフィンズ戦では21-0, 23-3とリードしながら第4Qに21点失点し23-24で敗れた。このシーズンは5勝11敗に終わりヘッドコーチのムラーキーとGMのトム・ドナヒューを解任、ヘッドコーチにディック・ジャーロン、GMにマーブ・リービーを迎えた。 2006年、J・P・ロスマンが先発QBとして全試合に出場、7勝9敗で終えた。2007年、新人QBのトレント・エドワーズがシーズン序盤に先発の座をロスマンから奪い、ドラフト1巡指名のマーショーン・リンチも活躍したが7勝9敗で終え、シーズン終了後リービーはGM退任を表明した。2008年、チームはホームゲームを1試合カナダのトロントにあるロジャース・センターで開催した。 2009年にはテレル・オーウェンスを獲得したが、開幕前にオフェンスコーディネーターのターク・ショナートが解任されたチームの成績は低迷し、ヘッドコーチのジャーロンもシーズン中に解任、ディフェンスコーディネーターのペリー・フェウェルが暫定ヘッドコーチとなった。チームは6勝10敗で地区最下位に終わり、9インターセプトを挙げてプロボウルに選ばれたジェイラス・バードだけが明るいニュースであった。2009年の最終週からGMに就任したバディ・ニックスはテレル・オーウェンスをカット、2010年1月、チームは新ヘッドコーチに元ダラス・カウボーイズヘッドコーチのチャン・ゲイリー就任を発表した。 2010年は開幕から苦しみ、連敗中に開幕から先発QBを務めていたトレント・エドワーズを解雇したが、その後も8連敗を喫し、11月14日のデトロイト・ライオンズとの対戦で初勝利を挙げた。また11月3日にはサンディエゴ・チャージャーズから放出されたショーン・メリマンを獲得した。 2011年、チームは開幕から好調で第3週では21点差から逆転勝利し、8年ぶりにニューイングランド・ペイトリオッツを破るなど開幕3連勝を果たし、エースQBのライアン・フィッツパトリックは契約延長を勝ち取った。5勝2敗と好スタートを切ったが、その後エースRBのフレッド・ジャクソンなどけが人が続出、連敗を続けプレーオフを12年連続で逃した。第16週のデンバー・ブロンコスとの対戦でティム・ティーボウから4インターセプトを奪うなど、40-14で勝利し連敗を7で止めた。この年は6勝10敗でシーズンを終えた。 2012年2月21日、恒例としていたトロントでのプレシーズンゲーム開催の中止を決定した。3月にヒューストン・テキサンズからフリーエージェントとなったマリオ・ウィリアムズを6年9,600万ドルで獲得した。12月にラルフ・ウィルソン・スタジアムとのリース契約を10年延長した。シーズンは6勝10敗で終わり、シーズン終了後、ヘッドコーチのゲイリーは解任された。2013年1月、シラキュース大学ヘッドコーチのダグ・マローンが新ヘッドコーチに就任した。この年のドラフト1巡目でQBのEJ・マニュエルを指名した。 2014年3月5日、トロントでのレギュラーシーズンの試合を中止することを発表した。5万4,000人収容可能なロジャース・センターでの入場者数は2012年に4万770人と初めて5万人を割り、2013年は3万8,969人にとどまっていたのが理由であった。3月25日、チームオーナーのラルフ・ウィルソンが95歳で死去、ウィルソン夫人のメアリーがチーム売却までのオーナーとなった。4月には、世界的富豪のドナルド・トランプがチームを購入しようとしているグループに接触したことを明らかにしたが、チームは9月にNHLバッファロー・セイバーズのオーナーであるテリー・ペグラに10億4,000万ドルで売却された。この年チームはプレーオフ出場こそ逃したものの9勝7敗と10年ぶりに勝ち越しでシーズンを終えた。シーズン終了後の12月31日、ヘッドコーチのマローンはチームとの契約を解除して退団した。 2015年1月13日、前年までジェッツのヘッドコーチを務めたレックス・ライアンがヘッドコーチに就任した。2016年シーズンは二年連続して地区3位に終わり、2016年12月27日、ライアンは解雇され、カロライナ・パンサーズのディフェンシヴ・コーディネーターを務めたショーン・マクダーモットが後任となった。
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