2007年参議院選挙
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「第21回参議院議員通常選挙」も参照 2007年4月に発覚した年金記録問題を争点に、「生活が第一」というスローガンを掲げて、参議院一人区で23勝6敗で圧勝し、石川県選挙区や佐賀県選挙区、鳥取県選挙区、徳島県選挙区、香川県選挙区、愛媛県選挙区、熊本県選挙区などの保守王国でも圧勝。複数人区や比例区でも圧倒的優位で票を獲得して議席を得た。 自民党・公明党を合わせた議席を比較しても参議院で第1党となり、与党参議院過半数割れに成功。ねじれ国会に持ち込んだ。
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2007年参議院選挙
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社会民主党(社民党)東京都連合常任幹事会は2007年1月18日、同年7月に予定される参議院東京都選挙区で、杉浦を同党公認予定候補として擁立を決定。同連合は翌19日にこれを発表し、同日、党首・福島瑞穂、衆議院議員・保坂展人の同席のもと、東京都庁記者クラブにおいて記者会見を行ない、「司法の場ではなく直接政策にかかわれる場で、自分を役立てたいと思った。憲法改正の動きに対して何とかしなければならないとの思いだ」と述べ、同時に「経済の格差が教育の格差につながり、機会、結果の格差につながっている。このような社会は許されない」、と政府・安倍内閣を批判している。 上部団体である社民党・全国連合常任幹事会は同月25日、同連合の公認決定を承認した。 同連合の公式サイトに、杉浦は公認について、出馬の第一の動機として東京空襲犠牲者遺族会が提起する集団訴訟弁護団の一員でもある自らの立場を説明しつつ、悲惨な戦争を起こす改憲の動きに抗するため、「憲法を守りたい」と表明する一文を寄せた。同文でさらに、子供のいじめ・非行・虐待の問題について社会福祉士の拡充など児童福祉の充実が必要だと説き、女性の問題についても、思っていることを声に出せるような、自身を大切にできる社会を目指す視点を失わないように取り組みたい、と自らの擁立・公認受け入れに対し抱負を述べている。 以上のような経緯で出馬したが、8位(法定得票数獲得者では最下位)で落選した。
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2007年参議院選挙
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2007年1月26日に札幌市内で小沢一郎民主党代表、鈴木宗男新党大地代表とともに記者会見し、「アイヌ、若者、女性という今の日本では最も不利な立場に置かれる当事者として、国政に(弱者の)声を届けたい」「私は北海道の地域主義を確立したい。私はスイスに10年以上住んでいるが、ヨーロッパの公平主義を大事にしたい。アメリカを代表とする新自由主義は、ヨーロッパでは歓迎されていない」として出馬表明した。 道東と衆議院の北海道第12区限定で民主党との選挙協力を行ったが、選挙中盤には全道に拡大した。参院選では62万1497票を獲得した。
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2007年参議院選挙
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「羽柴誠三秀吉」の記事における「2007年参議院選挙」の解説
同年、第21回参議院議員通常選挙北海道選挙区に「羽柴秀吉」名で立候補した。代表的なキャッチフレーズは「輝く日本新時代」「一票一揆」。選挙報道では泡沫候補と有力候補の境界線上の扱いを受け、5位で落選。供託金没収となった。しかし10万票を超える票を得て、社民党公認候補を上回ったことは健闘と言え、開票翌日の北海道新聞には敗戦の弁が写真付きで第二社会面に掲載された。また、夕張市では自民党の伊達忠一を上回り、民主党の小川勝也に次ぐ2位の得票数を記録した。事前の世論調査では、農村部の高齢者に一定の支持層を形成していた。
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