2007年参院選後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:18 UTC 版)
2007年参院選では自民党が惨敗して参議院過半数を失い、民主党が参議院第1党になった。その後、参議院議長に江田五月、参議院議運委員長に西岡武夫が選出され、参議院の議事の主導権は野党が握るようになった。その後、安倍晋三首相辞職後の首班指名選挙で衆議院は自民党の福田康夫、参議院は民主党の小沢一郎と、衆参異なる指名になった。両院協議会で一致しなかったため、衆議院議決優越により福田が首相になった。 その後、 自民党が反対する年金保険料流用禁止法案の参議院可決、衆議院への送付 守屋武昌前防衛事務次官に対する証人喚問を参議院で実施 補給支援特別措置法案、改正道路財源特例法案などの参議院否決またはみなし否決と、51年ぶりの衆議院再議決権の行使による法案成立 国会同意人事の参議院不同意による戦後初の日銀総裁空席 財務省や金融庁の権限が一切書かれていない道路整備事業特別措置法を、野党主導の参議院財政金融委員会に付託 後期高齢者医療制度廃止法案を野党主導の強行採決で参議院可決 暫定税率法案の吊るしと再可決によるガソリン代の乱高下 参議院での福田首相・麻生首相に対する問責決議案可決 などが起こっている。前述のように、与党は衆議院で2/3の議席を保持していたため、重要な法案については再議決を行うことが可能だったとはいえ、政府は国会運営に苦慮することも多かった。そこで福田は、衆参ねじれへの対策として民主党との大連立を打診、民主党の小沢一郎代表との間で一度合意するも、民主党内の猛反発により実現せず、却って与野党の対立姿勢を強める結果となった。結局ねじれによる国政運営の困難を理由に、福田は2008年9月に首相を辞任。これを受けた首班指名選挙では再び衆議院が自民党新総裁の麻生太郎、参議院が小沢を指名、両院協議会の不一致を経て麻生が首相となった。2009年7月には、東京都議選における自民党の惨敗を受けて、民主党などが衆議院に内閣不信任決議案、参議院に麻生首相に対する問責決議案を提出、それぞれ否決・可決された。 直後の2009年衆院選によって参議院多数派勢力である民主党を中心とした連合が衆議院で過半数の議席を獲得し、政権与党となったことで、ねじれは解消された。
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