郵政国会以降
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2005年7月5日、郵政国会で反対票を投じた。このため同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自由民主党の公認を得られず無所属で出馬。同党公認で出馬した金子に惜敗。その後自民党から正式に離党勧告処分が下り、離党する(野田聖子・佐藤ゆかり・金子一義・古屋圭司・松田岩夫の項も参照)。 2006年11月、「自由民主党に復党し、2007年の参議院選挙に出馬し、参議院に鞍替えする」と報道されたが、郵政造反組復党問題に絡み現職議員以外の復党は参院選終了後まで認めないと党は決定したため、結局無所属で自民党の推薦を受けて出馬することとなった[要出典]。 2人区の岐阜県選挙区の2007年改選の議員に大野つや子がいたために、自民党岐阜県連は大野を公認候補とし、藤井を推薦候補としようとしたが、同士討ちが予想されたため大野が反発[要出典]。しかし、2月に大野が2007年参議院選挙に立候補をせずに引退することを表明したため、岐阜県選挙区の与党系候補は藤井に統一された。2007年参議院選挙では、農村・山間部の保守層を中心に支持を集め、トップ当選。同年8月1日、自民党は、2007年参議院議員選挙で大敗したため欠員が生じている同党の党紀委員会の審査を経ずに、委員長・笹川尭の職権で仮復党を認めた。同年9月7日、党紀委員会で正式に復党が認められ、古巣の津島派に復帰した。2009年9月、参議院懲罰委員長に就任。
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