1992–2004とは? わかりやすく解説

1992–2004

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:11 UTC 版)

ローリング・ストーンズ」の記事における「1992–2004」の解説

スティール・ホイールズ / アーバン・ジャングルツアーの成功後に、バンド休息取ったチャーリー・ワッツ2枚のジャズアルバムをリリースしたロニー・ウッド11年ぶりに5目のソロ・アルバムスライド・オン・ディス』をリリースしたキース・リチャーズ1992年後半2枚目のソロ・アルバムメイン・オフェンダー〜主犯〜』(イギリス45位; アメリカ99位)をリリースしてスペインアルゼンチンでの大規模コンサートを含む小ツアー行ったミック・ジャガー3枚目のソロ・アルバムワンダーリング・スピリット』(イギリス12位; アメリカ11位)をリリースしセールス成功高評価得た同作世界中で200万枚上のセールス記録しアメリカではゴールドアルバムを獲得した1993年1月ワイマン脱退後ストーンズヴァージン・レコード契約しライブアルバム3枚を除く『スティッキー・フィンガーズ』から『スティール・ホィールズ』までの旧譜をリマスターの上再発コンピレーション『ジャンプ・バック』(イギリス16位; アメリカ30位)をリリースした1993年までにストーンズ次のスタジオアルバムの製作に入ったマイルス・デイヴィスおよびスティングのサイドマンを務めたダリル・ジョーンズワイマン代わりとしてチャーリー・ワッツによって選ばれ、『ヴードゥー・ラウンジ』のレコーディング参加した。同アルバムイギリスで1位、アメリカで2位獲得し高評価および高売り上げ達成アメリカでダブル・プラチナを獲得したワイマン脱退した反動からか、ベース中心とした低音重視音作りをしており、曲調新人バンド戻ったような瑞々しさのある曲が多く評論家アルバムの「トラディショナリスト」な音に注目した。これは新たなプロデューサードン・ウォズに依るところが大きかった同作1995年グラミー賞ベストロックアルバムを獲得したアルバムの発売に伴い1994年から95年にかけてヴードゥー・ラウンジ・ツアーが実施された。様々なコンサートおよびリハーサルからの録音多くはアコースティックナンバー)が編集され、『ストリップド』(イギリス9位; アメリカ9位)がリリースされた。同作ではボブ・ディランカヴァーライク・ア・ローリング・ストーン」がフィーチャーされ、それまでライブではあまり演奏されなかった「シャイン・ア・ライト」、「スウィート・バージニア」、「クモハエ」といった曲が収められた。1994年9月8日ストーンズニューヨークラジオシティ・ミュージックホールMTVビデオ・ミュージック・アワーズに出演、「ラヴ・イズ・ストロング」と「スタート・ミー・アップ」を演奏したバンド授賞式でライフタイム・アーカイヴメント賞を受賞したストーンズインターネット上でコンサート中継放送した最初のメジャーアーティストであった1994年11月18日20分間ビデオがMboneを使用して、1秒間当たり10フレーム放送された。放送Thinking Pictures技術担当しサン・マイクロシステムズ出資して行われた。この放送はストリーミング・ビデオの最初デモンストレーション1つであり、本当ネット配信ではなかったが、多く技術紹介された。 ストーンズ90年代締めくくったブリッジズ・トゥ・バビロン』(イギリス6位; アメリカ3位)は1997年リリースされ賛否両論評価得たシングルカットされた「エニバディ・シーン・マイ・ベイビー? 」 のプロモーションビデオにはアンジェリーナ・ジョリーゲスト出演しMTVVH1何度も放送された。また、同年11月リリースされB.B.キングアルバムデューシズ・ワイルド』に収録された「ペイング・ザ・コスト・トゥ・ビー・ザ・ボス」のレコーディングには、ストーンズメンバー全4人とサポート・メンバーダリル・ジョーンズ参加したアルバムブリッジズ・トゥ・バビロン』の売り上げ前作とほぼ同様(アメリカで120万枚)となり、続いて行われたブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーはヨーロッパ横断北米回ってその他の地域でも行われバンド未だ強力なライブパフォーマンス行えることを証明した。再びライブアルバムノー・セキュリティ』(イギリス67位; アメリカ34位)が本ツアーから編集されたが、収録曲は「リヴ・ウィズ・ミー」と「ザ・ラスト・タイム」以外はライブとしては未発表の曲ばかりであった1999年にはアメリカでノー・セキュリティ・ツアーを開始しヨーロッパではブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーを継続した。ノー・セキュリティ・ツアーは近年花火巨大ステージツアーとは対照的に簡素なステージで行われたミック・ジャガー2001年後半に4目のソロ・アルバムゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ』(イギリス44位; アメリカ39位)をリリースしたが、賛否両論批評受けたアメリカ同時多発テロ事件一ヶ月後、ミックキースは「ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ(英語版)」に出演バックバンドと共に地の塩」と「ミス・ユー」を演奏した2002年バンド結成40周年記念した2枚組ベスト・アルバムフォーティ・リックス』(イギリス2位; アメリカ2位)をリリースした同作には新曲4曲が収録され世界中で700万枚以上を売り上げた同年Q誌の「死ぬ前に見るべき50バンド」の一つ選出された。また、2002年から2003年にかけてフォーティ・リックス・ツアーが行われ、人々は死ぬ前に見るチャンス与えられた。このツアー小劇場アリーナスタジアムでのコンサートが行われた。カナダトロントでは「to help the city」と掲げたコンサートがモルソン・カナディアン・ロックス・フォー・トロントで行われSARS流行打撃受けた都市対す支援となったバンドトロントコンサート行ったのはスティール・ホイールズ・ツアーのリハーサル以来であったコンサートは約49万人動員された。 2003年11月9日バンド香港ハーバーフェストの一環として香港における最初コンサート行った同月4枚組DVDセット『フォー・フリックス』をリリースバンドはこれを独占的に販売する権利ベスト・バイ与え、それを受けていくつかのカナダアメリカにおける小売店HMVカナダサーキット・シティー・ストアーズを含む)ではストーンズCDグッズから撤去され事情説明する掲示された。12月12日ミックバッキンガム宮殿においてチャールズ皇太子からナイト称号授与された。2004年にはリックス・ツアーの模様収めた2枚組アルバムライヴ・リックス』(イギリス38位; アメリカ50位)がリリースされアメリカでゴールドアルバムを獲得した2004年11月にはイギリス音楽殿堂入り候補となった

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