1966〜1995年 国立劇場演出室長期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 15:10 UTC 版)
「木戸文右衛門」の記事における「1966〜1995年 国立劇場演出室長期」の解説
1966年 - 古典芸能の脱構築と伝統音楽の再構造化 国立劇場開設と同時に文化財保護委員会から国立劇場に移籍。芸能部で「雅楽」の儀礼文化から脱構築して舞台芸術音楽として再構造化する音楽運動を始める。「聲明」を初めて舞台芸術として取り上げたことは、日本音楽文化の奥の深さを多くの観客に驚きを持って迎えられた[要出典]。 1968年 - 廃絶していた伝統美学・理論の再発見と再構造化 国立劇場継続公演企画のため、古老からの聞き取り、古文書調査等研究から、現行の古典音楽では廃絶された伝統的な特殊演出・奏法が有った事を知り、その根拠となる美学と理論を舞台上での再構築を試みる。「聲明」に於ける「虚階(こかい)」演奏は文脈が一部分欠落する=声を出さずに唱える特殊奏法。観客に位相の記憶をガイドして欠落音のイメージ意識を活性化させるメカニズムを様々な舞台で再構造化(聲明における無言唄(むごんばい))して話題を呼んだ[要出典]。 1981年 - 正倉院楽器の構造研究と復元事業 現行雅楽の原点の証拠物件としての正倉院宝物の楽器に注目し、残材を含め構造力学的に研究し楽器の機能優先としての復元する。「箜篌(くご)」ハープ属では構造上必要不可欠なパーツの存在を想定し、宮内庁正倉院事務局収蔵庫に伝世している用途不明品からパーツ発見。明治以来、成し得なかった演奏可能な箜篌の復元に成功する。以後、箜篌は現役の楽器として蘇り、現代作曲家による「箜篌」の為の新作曲=伶楽運動により国内外で演奏されている。書籍「古代楽器の復元」、復元楽器17点の解説により、民族音楽学会(英語: Society for Ethnomusicology)からクラウス・ワックスマン賞を贈られた。 1970-1991年 - 国内外の現代作曲家とのコラボレーション 古典雅楽に埋没している楽器音の隠れた情報量を再開発する為に、正倉院復元楽器の構造から帰納される必然性音楽を創造する為に、国内外の優れた作曲家と積極的に新曲を発表した。「昭和天平楽」(黛敏郎)、「秋庭歌一具」(1973-79年)(武満徹)、「闇を溶かして訪れる影」(一柳慧)、「飛天楽」(石井眞木)等。海外作曲家では「歴年」(カールハインツ・シュトックハウゼン)、「観想の炎の方へ」(ジャンクロード・エロア)、「龍安寺」(ジョン・ケージ)等。「歴年」はドイツの前衛作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンに委嘱し、1977年10月31日と11月1日に国立劇場第22回雅楽公演として、初演された。初演では日本楽壇から拒絶されたが、同曲の洋楽器版がヨーロッパで絶賛され、その後追加された補作も含めて現代音楽界のモニュメントな作品となった。また、「箜篌のための「時の佇まい」のハープヴァージョン」(一柳慧)は世界ハープコンクールの課題曲に選ばれ世界に普及されている。 1995-1998年 - ヨーロッパの音楽祭等への参加 国立劇場で展開してきた音楽運動の世界進出期を迎えてきた。特に聲明の舞台に於ける再構造化は、ヨーロッパ現代音楽界が課題としていた音楽概念に共通するものと強い関心が寄せられた。ヨーロッパ各地の音楽祭への参加を計画し、ベルリン市フェストボッフェン音楽祭に聲明公演で参加し、以後各地の音楽祭(パリ市フェスティバル ドートンヌ等)で日本雅楽と聲明による「舞楽法会」公演、正倉院復元楽器による演奏会等、国立劇場で蓄積した成果を発表してきた。欧米諸国に大きな音楽的インパクトを与えた評価は日本国内の評価を上回るものでもあった[要出典]。 欧州文化首都ーEUジャパンフェスト公演。ルクセンブルク(95年)、コペンハーゲン(96年)、96’ウイーン、ギリシャ・テサロニキ(97年)、ストックホルム(98年)で現代音楽から雅楽、声明公演を演出する。
※この「1966〜1995年 国立劇場演出室長期」の解説は、「木戸文右衛門」の解説の一部です。
「1966〜1995年 国立劇場演出室長期」を含む「木戸文右衛門」の記事については、「木戸文右衛門」の概要を参照ください。
- 1966〜1995年 国立劇場演出室長期のページへのリンク