1966-1985とは? わかりやすく解説

1966-1985

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:14 UTC 版)

「レッドスター・ベオグラード」の記事における「1966-1985」の解説

1966年にミリャン・ミリャニッチが監督に就任し、世代交代を推し進めた。クラブの中心だったシェクララツは去り、後に「第3の星人」の栄誉を受け、UEFAジュビリーアウォーズにて過去半世紀におけるセルビア史上最高の選手と称えられる左サイドのウィンガー、「ジャヤ」ことドラガン・ジャイッチが台頭した。就任初年度は5位に低迷するものの、1967-68シーズンからリーグ3連覇を達成。1970-71シーズンには再びチャンピオンズカップの準決勝まで進出したが、ギリシャのパナシナイコスの前に4対4のタイスコアながらアウェイゴールの差で敗れた。ミリャニッチは1974年、スペインのレアル・マドリードに引き抜かれるまで指揮を採り、4度のリーグ優勝、3度のカップ優勝を成し遂げた。 ミリャニッチ辞任の翌年にジャイッチはクラブを去り、ヴラディミル・ペトロヴィッチの時代が始まった。1972年にデビューした「ピジョン」ことペトロヴィッチは1970年代後半に入るとクラブの絶対的なエースへと成長し、1978-79シーズンのUEFAカップ(UEFAヨーロッパリーグの前身)では決勝で西ドイツのボルシア・メンヒェングラートバッハに敗れたもののクラブを準優勝に導き、後に「第4の星人」として表彰された。ペトロヴィッチは1982年にクラブを去るが、以降もトミスラヴ・イヴコヴィッチ、ボシュコ、ミルコのジュロフスキ兄弟などのユーゴスラビア代表選手が活躍し、ミリャニッチ辞任後の10年で4回のリーグ優勝を飾った。

※この「1966-1985」の解説は、「レッドスター・ベオグラード」の解説の一部です。
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