1966年(昭和41年)-1982年(昭和57年)
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「木村学司」の記事における「1966年(昭和41年)-1982年(昭和57年)」の解説
この頃から次第に関心が浪曲へと移っていく。 「掛合い浪曲」の制作を任される。現場には浪花家辰造、天中軒雲月、五月一朗、二葉百合子らが結集した。NHKを退きフリーとなるが、一時は資金を得るために借金をしなければならないほど苦しい生活を送っていた。1970年、レコード会社クレンズヒルの委嘱により、レコード「日蓮大聖人浪曲御伝記」を制作する。その後も、自らレコード会社「宗教レコード制作本部」を立ち上げ、日本の名僧を題材にした浪曲レコードを数多く制作する。浪曲化することが難しいとされた宗祖の伝記に果敢に挑戦し、膨大な時間を費やした学司の苦労を村上元三はこう称賛している。「木村君の苦労がさこそ、と身にしみてよくわかる。しかし、こういうむづかしい仕事をして、ひろく一般大衆に、仏教のありかたを物語ろうという木村君の努力は、高く認められていい。」 1978年(昭和53年)、妻:たまが他界する。酒が原因で以前から患っていた肝硬変が悪化し肝癌となり入院する。1982年(昭和57年)、「今年は私の生まれ年、庚戌なので何か一つ世間にお役に立つことを」と、晩年の作品の集大成ともいえる「日本名僧浪曲列伝」を刊行する事を決意する。校正も完了し製本されるのを楽しみにしていたが、無念にも完成目前にしてこの世を去る。(後に長男によって限定出版される)往年71歳。
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