歴代社長・会長
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「東京電力ホールディングス」の記事における「歴代社長・会長」の解説
歴代社長代氏名在任期間出身校出身部署備考初 安蔵弥輔 1951年5月 - 1952年9月 東京帝国大学電気工学科 - 2 高井亮太郎 1952年9月 - 1958年 - 石炭納入を巡る汚職事件を受け引責辞任 3 青木均一 1958年 - 1961年 東京高等商業学校(現在の一橋大学) - 4 木川田一隆 1961年 - 1971年 東京帝国大学経済学部 営業 5 水野久男 1971年 - 1976年 東京帝国大学法学部 総務 6 平岩外四 1976年 - 1984年 7 那須翔 1984年6月 - 1993年6月 東京大学法学部 8 荒木浩 1993年6月 - 1999年4月 9 南直哉 1999年4月 - 2002年9月 企画 原発データ改竄事件により引責辞任 10 勝俣恒久 2002年9月 - 2008年6月 東京大学経済学部 柏崎刈羽原子力発電所のトラブルによる引責辞任 11 清水正孝 2008年6月 - 2011年6月28日 慶應義塾大学経済学部 資材 東大出身者以外の社長は47年ぶり。 福島第一及び福島第二原発の事故による引責辞任 12 西澤俊夫 2011年6月 - 2012年6月 京都大学経済学部 企画 勝俣恒久の直系・懐刀と称される 13 廣瀬直己 2012年6月 - 2017年6月 一橋大学社会学部 企画・営業 14 小早川智明 2017年6月 - 現職 東京工業大学工学部 法人営業 59年ぶりの理系出身者。恩賜発明賞受賞者。 歴代会長代氏名在任期間出身校出身部署備考初 新木栄吉 1951年 - 1952年 東京帝国大学法科大学 - 2 新井章治 1952年 早稲田大学大学部政治経済学科 3 安蔵弥輔 1952年 - 1954年 東京帝国大学電気工学科 4 菅礼之助 1954年 - 1961年 東京高等商業学校(現在の一橋大学) 5 青木均一 1961年 - 1966年 6 木川田一隆 1971年 - 1976年 東京帝国大学経済学部 営業 - 7 平岩外四 1984年 - 1993年 東京帝国大学法学部 総務 8 那須翔 1993年 - 1999年 東京大学法学部 9 荒木浩 1999年 - 2002年 10 田村滋美 2002年 - 2008年 東北大学工学部 11 勝俣恒久 2008年 - 2012年 東京大学経済学部 企画 12 下河邉和彦 2012年 - 2014年 京都大学法学部 - 13 数土文夫 2014年 - 2017年 北海道大学工学部 14 川村隆 2017年 - 2020年 東京大学工学部 15 小林喜光 2021年 - 現職 東京大学大学院
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歴代社長・会長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 06:00 UTC 版)
川鉄の「取締役社長」は、合計7人。名前と在任期間は以下の通り。 西山弥太郎 - 1950年8月就任、1966年7月退任(会長へ異動) 藤本一郎 - 1966年7月就任、1977年6月退任(会長へ異動) 岩村英郎 - 1977年6月就任、1982年6月退任(会長へ異動) 八木靖浩 - 1982年6月就任、1990年6月退任(会長へ異動) 濤崎忍 - 1990年6月就任、1995年6月退任(会長へ異動) 江本寛治 - 1995年6月就任、2001年6月退任(会長へ異動) 數土文夫 - 2001年6月就任、2003年4月JFEスチール社長兼最高経営責任者 (CEO) に就任 「取締役会長」は、合計8人。空席となった時期もある。 大森尚則 - 1953年10月就任、1965年6月退任 西山弥太郎 - 1965年6月就任、1966年8月死去 藤本一郎 - 1977年6月就任、1981年6月退任 岩村英郎 - 1982年6月就任、1988年6月退任 八木靖浩 - 1990年6月就任、1994年12月退任 濤崎忍 - 1995年6月就任、1996年6月退任 門田研造 - 1996年7月就任、1998年9月退任 江本寛治 - 2001年6月就任、2002年9月JFEホールディングスの会長兼共同経営責任者 (Co-CEO) 就任に伴い退任
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歴代社長・会長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 07:28 UTC 版)
八幡製鐵のトップは「社長」で、20年間で以下の4人がこの役職を務めた。 三鬼隆 : 1950年4月1日就任、1952年4月9日死去 渡辺義介 : 1952年5月10日就任、1956年1月6日死去 小島新一 : 1956年1月13日就任、1962年5月28日会長へ異動 稲山嘉寛 : 1962年5月28日就任 初代社長の三鬼は日鉄の6代目社長、2代目社長の渡辺は日鉄の5代目社長を務めていた。4代目社長の稲山は、新日鉄発足後の1973年まで社長を務めている。 「会長」に就任したのは、3代目社長小島のみである。1962年に社長から異動し、1967年5月29日に退任した。
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歴代社長・会長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 16:17 UTC 版)
最後の代表取締役社長は宗岡正二、代表取締役会長は三村明夫。社長の宗岡は日本経済団体連合会(経団連)の副会長も務める。経団連の前身・経済団体連合会では、初代社長の稲山嘉寛や4代目社長の斎藤英四郎、7代目社長今井敬が会長を務めている。新日鐵住金発足にともない、宗岡は新日鐵住金の代表取締役会長(2014年3月まではCEO兼務)となり、三村は2014年4月時点で、相談役名誉会長となっている。 鉄鋼業界の業界団体である日本鉄鋼連盟の会長職は1948年(昭和23年)の発足以来、慣行として新日鉄社長が務めていたが、2006年(平成18年)5月に三村からJFEスチールの馬田一社長へ会長職を交代。今後は両社が2年おきの輪番で会長を務めることになる。
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