1966年–1968年
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「デラム・レコード」の記事における「1966年–1968年」の解説
1960年代、デッカのレコーディング・エンジニアは、ステレオ録音を改善する方法を試みた。そして彼らは「デッカ・パノラミック・サウンド (Decca Panoramic Sound)」と呼ばれる技術を編み出した。「デラミック (Deramic)」という用語は、この略語として作成されたものである。この新しいコンセプトによって、楽器間のスペースが広くなり、これらのサウンドは耳触りの良いものになった。ポピュラー音楽における初期のステレオ録音は通常、左端のみ、中央のみ、右端のみというサウンドとしてミックスされていた。これは、1967年頃までは最先端だったプロ仕様の4トラック・リール・トゥ・リール・レコーダーの技術的な制限によるものだった。 デッカは当初、デラム・レコードを、現代のポップおよびロック・ミュージックのデラミック・サウンドによるレコーディングのアウトレットと考えたが、デラム初期のレコーディングのすべてがこの手法を使用したわけではない。「デラミック・サウンド」は、より自然なステレオの広がりを持つレコーディング作品を作成することを目的としていた。基本的な違いは、4トラック・レコーダーからの4つの個別(モノ)のトラックをオーバーダビングおよびミキシングする代わりに、デッカのレコーディング・エンジニアが4トラック・マシンをペアで使用して複数の2チャンネル(ステレオ)レコーディングをレイヤー化したことである。この新しいコンセプトと追加のトラックにより、エンジニアはステレオ・フィールド内の任意の位置に楽器をより簡単に配置できるようになった。 「デラミック・サウンド」のコンセプトを立ち上げるために、デラムは1967年10月、6枚のイージーリスニング・オーケストラ調のポップ・アルバムをシリーズで発表した。そのすべてのアルバム・タイトルに「Night」という単語が含まれていた。つまり、『Strings in the Night』『Brass in the Night』といった具合である。しかし、レーベルはすぐに「オルタナティヴ」または「プログレッシブ」なアーティストの母体として生まれ変わった。この一連の最初となるレコーディングは、ムーディー・ブルースによる1967年11月リリースのアルバム『デイズ・オヴ・フューチャー・パスト』であった。 プロ品質の8トラック・レコーダーが、1968年にアドヴィジョン・スタジオ (Advision Studios)やトライデント・スタジオ (Trident Studios)をはじめ、多くのイギリスのスタジオに登場し始めた。これら8トラックの機器は、デュアル4トラック・レコーダーのセットアップよりもはるかに柔軟性があった。デッカのエンジニアは、他の主要なスタジオよりも多くのトラックを持つという優位性がなくなったため、「デラミック・サウンド」のコンセプトはすぐに時代遅れとなり、取りやめとなった。1968年後半または1969年初頭までに、デッカは独自の8トラック・レコーダーを入手していた。
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