1966年–1968年とは? わかりやすく解説

1966年–1968年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 15:20 UTC 版)

デラム・レコード」の記事における「1966年–1968年」の解説

1960年代デッカレコーディング・エンジニアは、ステレオ録音改善する方法試みた。そして彼らは「デッカ・パノラミック・サウンド (Decca Panoramic Sound)」と呼ばれる技術編み出した。「デラミック (Deramic)」という用語は、この略語として作成されたものである。この新しコンセプトによって、楽器間のスペース広くなり、これらのサウンド耳触り良いものになったポピュラー音楽における初期ステレオ録音通常左端のみ、中央のみ、右端のみというサウンドとしてミックスされていた。これは、1967年頃までは最先端だったプロ仕様の4トラック・リール・トゥ・リール・レコーダーの技術的な制限よるものだった。 デッカ当初デラム・レコードを、現代ポップおよびロック・ミュージックのデラミック・サウンドによるレコーディングアウトレット考えたが、デラム初期レコーディングのすべてがこの手法を使用したわけではない。「デラミック・サウンド」は、より自然なステレオ広がりを持つレコーディング作品作成することを目的としていた。基本的な違いは、4トラック・レコーダーからの4つ個別モノ)のトラックオーバーダビングおよびミキシングする代わりにデッカレコーディング・エンジニアが4トラック・マシンをペア使用して複数2チャンネルステレオレコーディングレイヤー化したことである。この新しコンセプト追加トラックにより、エンジニアはステレオ・フィールド内の任意の位置楽器をより簡単に配置できるようになった。 「デラミック・サウンド」のコンセプト立ち上げるために、デラムは1967年10月、6のイージーリスニング・オーケストラ調のポップ・アルバムをシリーズ発表した。そのすべてのアルバム・タイトルに「Night」という単語含まれていた。つまり、『Strings in the Night』『Brass in the Night』といった具合である。しかし、レーベルはすぐに「オルタナティヴ」または「プログレッシブ」なアーティスト母体として生まれ変わった。この一連の最初となるレコーディングは、ムーディー・ブルースによる1967年11月リリースアルバムデイズ・オヴ・フューチャー・パストであったプロ品質の8トラック・レコーダーが、1968年にアドヴィジョン・スタジオ (Advision Studios)やトライデント・スタジオ (Trident Studios)をはじめ、多くイギリススタジオ登場し始めた。これら8トラック機器は、デュアル4トラック・レコーダーのセットアップよりもはるかに柔軟性があった。デッカエンジニアは、他の主要なスタジオよりも多くトラックを持つという優位性なくなったため、「デラミック・サウンド」のコンセプトはすぐに時代遅れとなり、取りやめとなった1968年後半または1969年初頭までに、デッカは独自の8トラック・レコーダーを入手していた。

※この「1966年–1968年」の解説は、「デラム・レコード」の解説の一部です。
「1966年–1968年」を含む「デラム・レコード」の記事については、「デラム・レコード」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1966年–1968年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  1966年–1968年のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1966年–1968年」の関連用語

1966年–1968年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1966年–1968年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのデラム・レコード (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS