1941-1942年とは? わかりやすく解説

1941 - 1942年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/11 22:57 UTC 版)

ファラガット (DD-348)」の記事における「1941 - 1942年」の解説

1941年12月7日真珠湾のイースト・ロック14番ブイエールウィン英語版) (USS Aylwin, DD-355) と並んで係留されていたファラガットは、艦長エドウィン・K・ジョーンズ少佐上陸中で上級将校代わりに艦の指揮を執っていた。間もなく真珠湾攻撃始まりファラガット7時58分に警報鳴らして8時12分から反撃開始反撃を8時52分まで続けたのち湾外に出たファラガットが行った反撃のうち、プリンストン大学出身のジェームズ・アーメン・ベンハム少尉働き目覚ましくベンハム少尉ブロンズスター・メダル授与された。攻撃後は1942年4月までハワイサンフランシスコ間で船団対潜護衛任務従事した1942年4月15日ファラガット空母レキシントン (USS Lexington, CV-2) を中心とする、ウィルソン・ブラウン中将第11任務部隊加わり南太平洋方面へと向かう。このころ日本軍圧力ポートモレスビーニューギニア島、あるいはオーストラリアニュージーランドにいたる通商路を徐々に圧迫し、この脅威取り除くため海軍迅速に迎撃態勢整えた。同じころに南太平洋行動していた第17任務部隊英語版)(フランク・J・フレッチャー少将)の空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) からの航空機が、ツラギ島対岸のガヴツ(英語版)にいた日本軍攻撃したのは5月4日のことであり、珊瑚海合流した第11任務部隊および第17任務部隊は、日本側の原忠一少将率い第五航空戦隊珊瑚海入りつつあることを知る。互いの敵を見ず始まった珊瑚海海戦は、まず5月7日に両任務部隊からの艦載機MO攻略部隊発見して攻撃し空母祥鳳撃沈し先手取った。翌5月8日ファラガット任務部隊から分離し支援部隊護衛に回る。ファラガット属した部隊日本機の激し空襲晒されたが、ファラガットそのうちの5機を撃墜し損傷はなかった。日本機のほか、B-17一隊支援部隊誤爆するハプニングもあったが、爆弾ファラガット左舷側に落ちただけで大事なかった。5月11日クイーンズランド州シド湾に帰投したファラガットは、6月下旬までオーストラリアニュージーランドフィジートンガタプ島方面船団護衛従事し6月29日真珠湾帰投した。 ファラガット属し珊瑚海海戦レキシントン失った第11任務部隊新たに空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) を迎え7月7日フレッチャー少将指揮下で真珠湾出撃8月7日ガダルカナル島の戦いに際してサラトガ護衛航空支援任務に就きその後ガダルカナル島にいたるシーレーン確保のために東部ソロモン諸島方面行動する8月24日から25日にかけての第二次ソロモン海戦でも同じく護衛任務従事日本機の空襲からサラトガ守り通した8月31日戦艦ノースカロライナ(USS North Carolina, BB-55)が伊26レーダー探知したため、確認向かったが、途中で反応消えたその後伊26雷撃によりサラトガ大破しファラガット主な任務部隊護衛任務お役御免となる。9月から1943年1月まではガダルカナル島中心としてオーストラリアニュージーランド方面での船団護衛任務に再び就き1月27日真珠湾帰投西海岸回航されてオーバーホール訓練任務行った

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1941 - 1942年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 03:58 UTC 版)

ハル (DD-350)」の記事における「1941 - 1942年」の解説

1941年12月7日真珠湾攻撃の際、ハル駆逐艦母艦ドビン (USS Dobbin, AD-3) に横付けして修理であったが、対空砲火応戦した攻撃戦艦対するものが主体だったためハル被害受けず翌日には真珠湾攻撃前から外洋行動中だった空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) の出迎えのため、真珠湾出港した1942年に入ると、ハルウィルソン・ブラウン中将率い第11任務部隊編入され空母レキシントン (USS Lexington, CV-2) の直衛を務める。ソロモン諸島方面進撃した日本軍攻撃する第11任務部隊とともに行動し3月26日真珠湾帰投以降3カ月間は真珠湾サンフランシスコ間で護衛任務につき、5月珊瑚海海戦6月ミッドウェー海戦には不参加だった。ハル南方からの反撃のためフィジー進出し7月26日ソロモン戦場向けて出撃8月7日から8日にかけてのガダルカナル島上陸作戦では、艦砲射撃対潜警戒あたった次の日には日本機の空襲受けたものの、ハル対空砲火そのうちの何機かを撃墜した。この空襲兵員輸送艦ジョージ・F・エリオット英語版) (USS George F. Elliott, AP-13) が被弾炎上して維持が困難となり、ハルがその処分あたった8月9日にはガダルカナル島沿岸スクーナー撃ち沈め夕方エスピリトゥサント島向かった戦い行く末定かでなかった数週間の間、ハルガダルカナル島向けの輸送船団護衛三度行い9月9日14日には攻撃受けたものの、被害はなかった。ハル10月20日真珠湾帰投し、1942年残りの期間は戦艦コロラド (USS Colorado, BB-45) とともにニューヘブリディーズ諸島近海行動した

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