1930年3月の聴聞会まで
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「ガズデン購入50セント硬貨」の記事における「1930年3月の聴聞会まで」の解説
米墨戦争は1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約締結により終結したが、条約により米国が獲得したメキシコ割譲地ではメキシコとの間の国境紛争が生じた。その背景には米国南部における、大陸横断鉄道の南部ルートに必要な土地を求める声があり、フランクリン・ピアース大統領はジェームズ・ガズデン(英語版)をメキシコ駐在アメリカ合衆国大使(英語版)として派遣して交渉にあたらせた。ガズデンとメキシコ大統領アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナの交渉の結果、ガズデン購入が成立、1853年12月30日に条約が締結された。条約では米国が4万5千平方マイル(12万平方キロメートル)の土地を1,500万米ドルで購入することが定められたが、アメリカ合衆国上院が批准を拒否したため、割譲地の面積と金額がそれぞれ約3分の1減額された。ガズデン購入によりアメリカが獲得した土地はエルパソの西、現アリゾナ州とニューメキシコ州の一部にあたる。 1920年代末、エルパソの硬貨商人ライマン・W・ホフェッカー(Lyman W. Hoffecker)はガズデン購入75周年を記念する50セント硬貨の発行を議会に同意させようとした、ホフェッカーは1929年にガズデン購入委員会(Gadsden Purchase Commission)という組織を創設したが、その成員は実質的にはホフェッカーだけであった。この時代の記念硬貨の発売は政府によって行われることではなく、議会が記念硬貨法案で特定の組織を指名することが一般的だった。指名された組織は記念硬貨を額面で購入した後、値段を割り増して転売するのである。すなわち、ホフェッカーの目的はガズデン購入50セント硬貨の流通を掌握することである。 『ニュミズマティスト(英語版)』の1929年4月号でホフェッカーからの手紙が掲載され、ホフェッカーは硬貨を設計して、その流通を担当するとした。また、エルパソ出身のテキサス州選出下院議員クロード・ベントン・ハッズペス(英語版)が記念硬貨法案の提出に同意したとも述べ、設計については表面がガズデンの肖像、裏面がニューメキシコ州とアリゾナ州における購入地、ならびにエルパソの位置を示す地図であるとした。発行量は1万枚で値段は1.5米ドル(2018年時点の22米ドルと同等)だった。 ハッズペスは1929年4月25日にガズデン購入50セント硬貨の法案を下院に提出、法案は下院造幣・度量衡委員会(英語版)に委ねられた。1930年1月29日、造幣・度量衡委員会の委員長ランドルフ・パーキンズ(英語版)(ニュージャージー州選出)は財務長官のアンドリュー・W・メロンに手紙を出して意見を求め、メロンは31日に返信して法案に反対した。メロンは議会が1890年に定めた、硬貨の設計は25年内に2回以上変更されるべきでないという原則を支持、1920年以降記念硬貨法案が15件も成立したことは浪費的かつ造幣局の負担になると述べた。彼はさらに1927年にバーモント州独立150周年50セント硬貨(英語版)が審議されたとき、造幣委員会が記念硬貨の多くが全国的に重要ではなく特定の地方にとって重要なだけだとして、発行に反対したことを例に挙げた。売り行きの良くない記念硬貨もあり、結局造幣局に返品されて溶かされる結果にしかならなかったため、メロンは記念硬貨ではなく記念メダルを発行するよう提案した。一方、ホフェッカーは3月8日に委員会に電報を出し、いつでも記念硬貨1万枚の値段を払える用意があるとし、また1929年だけとっても造幣局が外国の注文を受けて3千万枚以上の硬貨を製造したため、50セント記念硬貨の製造は造幣局にとってさほど負担にならないとも述べた。 1930年3月10日と17日、法案に関する聴聞会が開かれ、パーキンズが議長を務めた。そのうち、17日はハッズペスが病気だったため下院議員グイン・ウィリアムズ(英語版)(テキサス州選出)が代理で出席した。ウィリアムズは聴聞会で発言し、記念硬貨の発行が南西部全体にとって重要であること、発行に必要な支出は政府ではなく発行の支持者が支払うこと、支払いの用意ができていることを述べた。さらに「テキサス州選出の国会議員にガズデン購入50セント硬貨の法案を提出および支持するよう求める」という、テキサス州議会(英語版)の両院合同決議を提出した。続いて発言したのは下院議員アルバート・G・シムズ(英語版)(ニューメキシコ州選出)であり、自身およびテキサス州選出の上院議員2名(民主党所属のサム・G・ブラットン(英語版)と共和党所属のブロンソン・M・カッティング(英語版))が法案を支持していると述べた。ハッズペスは手紙を送り、ハッズペスの秘書ケイト・ジョージ(Kate George)はテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州選出の上院議員が一致して法案を支持していると述べた。ハッズペスの手紙が引用したホフェッカーの委員会の発言によると、硬貨発行の収入はガズデン購入地ではじめて米国国旗が立てられた場所に小さな記念碑を立てることに使われるという。 メロンは聴聞会に財務省官僚のウォルター・E・ホープ(Walter E. Hope)と造幣局局長補佐メアリー・M・オライリーを派遣した。ホープは50セント記念硬貨の発行が混乱を引き起こし、また偽造される可能性もあるとし、さらにこれまでの発行で売り行きが悪い場合があり、多くの記念硬貨が造幣局に返品されて溶かされる結果となったことを挙げた。一方、オライリーはたとえ話で自身の意見を説明した。彼女の話では、とある男が運賃を支払ってフィラデルフィアの路面電車に乗ろうとしたとき、50セント記念硬貨しか持っておらず車掌がその記念硬貨を知らなかったため運賃を支払えず、同じく客として乗車したフィラデルフィア造幣局(英語版)局長が代わりに運賃を支払ってようやく乗車できた。ルーザー・A・ジョンソン(英語版)(テキサス州選出)も議案を支持、3月5日付のホフェッカーからの手紙を提出して、記念硬貨は簡単に売れると述べた。また、ホフェッカーの手紙によると、委員会がハーバート・フーヴァー大統領と会談したとき、大統領はガズデン購入を祝うべきと述べたという。その後、造幣委員会は非公開審議(英語版)を行い、法案を是認した。
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