1928年の穀物危機と「ネップマン」「クラーク」「ブルジョワ専門家」への弾圧
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「ホロドモール」の記事における「1928年の穀物危機と「ネップマン」「クラーク」「ブルジョワ専門家」への弾圧」の解説
1927年から1928年にかけて、ふたたび穀物と消費財が不足した。これは、国が定める穀物価格があまりに低く、農民が穀物を売っても消費財を購入できなかったために、穀物を国家に引き渡すのをやめたことが原因であった。穀物の調達難は都市の食糧難を引き起こし、ソ連政府を崩壊させかねない危機となった。ブハーリンは穀物調達価格の引き上げを提案したが、トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフら合同反対派は、農民への譲歩は社会主義的工業化を遅らせるだけなので、強制収用に訴えても徴発すべきだと主張した。スターリンは当初ブハーリンを支持していたが、1927年12月の15回党大会以後、穀物危機はクラークのストライキが原因だと非難し、内戦時代のような農民からの強制収用を主張した。当時、プロレタリアート(労働者)階級の間では、革命で滅亡したはずのブルジョワは、「ネップマン」「クラーク」「ブルジョワ専門家」に姿をかえて復活しつつあるという懸念が広がっており、とくに1900年代と1910年代に生まれ、革命に遅れた若者世代は、革命期と内戦期の階級闘争を再現しようとするスターリンの主張を支持した。スターリンは若者の革命のロマンチシズムを求める風潮につけ込み、ソ連を外国の資本主義だけでなく、国内に潜む外国の手先と戦う国家として規定して、イギリスがスパイを送り込んでソ連を侵略しようとしているといった陰謀論などを新聞に満載し、恐怖心を煽り、潜在的な「敵」の摘発を奨励した。背景として1927年には、イギリスがゼネストへのソ連の関与を問題にして国交断絶を通告し、中国でも蒋介石の国民党政権がソ連に断交を宣言したことがあった。スターリンが戦争の恐怖を煽ったことで、ソ連国内ではパニックが起こり、買いだめに走った。 スターリン政権は穀物危機を解決するために、1918年の食料独裁令のような穀物供出を非常措置として命じ、不履行の場合は威嚇も用いて厳格化した。 しかし、1928年初頭の穀物調達危機は、工業製品が流通しなかったことで農産物を売却する意欲が農民において薄れたこと、行政の計画による失敗であった。1928年1月での穀物不足は216万トンで、「危機」というほどのものでもなく、家畜含めてほかの農産物は増えつつあり、1928年の農業総生産は2.4%増加していた。しかしスターリンは非常措置を実施、3万人の活動分子が農村に派遣され、地区の党内では粛清が進み、穀物市場は閉鎖され、農民は村の評議会への投票権を剥奪され、そのかわり、家族のない労働者がその権利を得た。集団農場コルホーズを設営し、農民をそこへ編入させていった。 1928年7月には、1926年に制定された条項107が農民に対して適用された。ルイコフは、適用されたケースの25%が貧農で、64%が中農、富農は5%でしかないと報告した。党内からの批判をうけて、1928年7月の大会で非常措置は撤回された。スターリンは演説で、「ネップでは農民には工業化を支えるための追加税がかけられているが、ソ連はこの追加税なしにはやっていけないのだ。しかし、農民はこの重負担に耐えることができるし、この負担は年々軽くなっていく。だいたい、社会主義国家において農民の搾取などできるはずがない」と演説し、農村における資本主義的分子を根絶しようと訴えた。 1928年初夏のシャーフトゥイ事件(シャフトゥイ事件)では、ドンバスの炭鉱地帯で技師53人が国際資本の手先として反革命的陰謀をもって反ソ連的破壊活動を行なったとして、スターリン、ルイコフ、オルジョニキッゼらが裁判を行い、5人が銃刑、40人が禁固刑になった。この事件は、スターリンが工業化を邪魔する者とみなしていた「ブルジョワ専門家」を排斥していくキャンペーンの端緒となった。 ネップ時代に私腹を肥やしたとされた「ネップマン」への攻撃も激化した。1926年に40万件あった事業主は1928年末までに懲罰的な重税によって消滅し、または警察によって閉鎖をよぎなくされた。「ネップマン」とレッテルを貼られた人々は逮捕され、公民権を喪失し、1928年に導入された配給カードも発行されず、公共住宅から締め出され、その家族の子供も学校から排除された。
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