穀物危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:11 UTC 版)
冬の寒波以上に人々の暮らしに影響を与えたのが春先の遅霜、冷夏における日照不足、異常乾燥などによって作物や牧草が枯死したり、発育不良に陥ったりすることであった。こうして冬以外の季節の異常気象などによって17世紀から18世紀前半にかけては凶作が波状的に訪れた。それは、代表的なものだけに限定しても、 1639年 - 1644年 1646年 - 1652年 1663年 - 1664年 1672年 - 1677年 1691年 - 1703年 1709年 - 1716年 の6回に及んだ。これらの年代にはヨーロッパのどこかの国々が凶作となったのであり、局地的なものを含めればさらに数が増える。凶作は直ちに穀物危機として現れ、農民には自家消費分にも満たない収穫しか残らないことも多かった。また、品薄のため穀物価格は高騰し、端境期などには庶民が穀物を手に入れることが実質不可能となることも多かった。貧しい人々は劣悪な食事に甘んじなければならなかったし、場合によっては腐朽しかけた穀物や腐肉、糠、木の根、草などを食べるしかないような状況に追い込まれた。人々の身体は衰弱し、慢性的な栄養失調に陥り、あるいはまた、出生率も著しく低下した。このようなとき、しばしば感染症が流行し、人々の生命を直接奪ったのである。 北欧では、1695年から1697年にかけての「大飢饉(英語版)」がフィンランド史上最悪の飢饉として名をとどめ、この国の4分の1から3分の1の人々が餓死したといわれる。
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