ウラル・シベリア方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)
「ホロドモール」の記事における「ウラル・シベリア方式」の解説
1928年1月、スターリンは非常措置としての穀物の強制徴発をシベリアで直接実施し、穀物の調達難の原因を「クラーク(富農)」による売り惜しみ、怠慢、サボタージュにあるとし、弾圧を強め、危機の原因は富農にあると断言した。シベリア現地の農民が徴発量が多すぎると苦言をいうと、スターリンは富農が5万ー6万プードの大量を備蓄しているせいだと答えたが、この数字はなんの裏付けもない当てずっぽうな数字だった。 1928年末の穀物危機では、国家計画委員会も季節的現象が要因であったと報告したため、強硬手段を取れなかった政治局は、クラークが穀物を隠しているので徴発量を増やすが、これは「農民の意見の一致」によるという「ウラル・シベリア方式」を採用した。これにより、農村の党組織は、徴発命令を簡単には出せずに、集会で農民を説得しなければならなかった。しかし、穀物供出への反対意見や批判や苦情を述べた農民たちはクラークだと認定され、逮捕され財産没収され、協同組合から排除され、村の製粉機の使用も禁止され、その子供の通学も拒否され、また強制収容所への移住を強制された。共産党の強権的な徴発に対して、ウクライナの農村の貧農も中農もなんの魅力も感じないと回答していたが、やがて村の共産党官僚は、都市から派遣された労働者党員のような過酷な徴発(穀物の没収)を中農に対しても開始することとなった。
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