穀物の調達難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:54 UTC 版)
「ソビエト連邦における農業集団化」の記事における「穀物の調達難」の解説
しかし、1925年夏には、穀物価格が上昇し、穀物調達が失敗し、経済困難が発生、さらに工業製品が出回らず、「商品飢饉」が発生した。ロシアの都市工業は不安定で、都市と農村のネップ的関係を危機にさらした。経済困難の原因は、重工業への投資はただちに消費財の増産につながらず、消費財も都市で流通しても、農村では出回らないので、農民の生産意欲を減らしたためとされ、当時、穀物価格は市場取引に委ねられていたためでもあったとされた。スターリン政権は、穀物や木材の輸出による利益(差益)で解決することを決定し、農民から穀物を低く買い上げ、農民への規制を強化した。 1927年秋には、農産物を安く買い取ろうとする国への販売を農民がしぶったため、ふたたび穀物の調達難が起こった。これはただちに都市の食糧難となり、そしてソ連政府にとっては、穀物の輸出計画の挫折を意味し、さらには「社会主義建設」構想の基礎を崩壊させていくような危機的状況ともなった。
※この「穀物の調達難」の解説は、「ソビエト連邦における農業集団化」の解説の一部です。
「穀物の調達難」を含む「ソビエト連邦における農業集団化」の記事については、「ソビエト連邦における農業集団化」の概要を参照ください。
- 穀物の調達難のページへのリンク