1928年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 06:35 UTC 版)
大正より着手された荒川改修事業により河道が現在の位置を通るようになり、川に堤防が築かれた。また今まで現在の朝霞水門付近で荒川に合流していた新河岸川が下流側に荒川に並行するように開削されて岩淵で隅田川に合流するよう改修された。新荒川大橋はその河川改修事業を契機として両府県の議会で決議されたことにより架設された。橋の建設に掛かる費用は両府県で折半した。工費は81万円である。工事は東京市芝区の水野甚次郎が請け負った。新荒川大橋は1926年(大正15年)9月着工され、1927年(昭和2年)10月竣工、1928年(昭和3年)9月16日に開通した。開通当時は都内では最も長い橋であった。橋長843.7メートル、幅員24フィート(約7.31メートル)、鋼重は1090トンである。荒川の河道上は支間長208フィート(約63.40メートル)の垂直材付きの鋼下路曲弦ワーレントラス橋が3連架設され、そのトラス橋の前後の高水敷区間(河川敷)は支間長75フィート(約22.86メートル)のプレートガーダー(鋼鈑桁橋)が左岸側14連、右岸側2連架設された。また、新河岸川を渡る区間には支間長140フィート(42.67メートル)の鋼上路2ヒンジラチスドアーチ橋が架設された。支間割は荒川は左岸側より22.9 m +22.0 m× 12 + 22.9 m+ 42.73 m×3 + 22.9 m× 2 である。橋の上部工の製作は横河橋梁(現、横河ブリッジ)が担当した。橋の塗色は灰色である。橋台はRC(鉄筋コンクリート)製である。下部工は高水敷区間は木杭基礎で、河道内は井筒基礎を用いている。堤外には荒川左岸側は長さ138.4メートル、荒川右岸側22.3メートル、新河岸川に60.0メートルの築堤を設け、橋はそこに接続されていた。堤内(河川区域外)にある取り付け道路は両側とも「S」の字状にカーブしていた。橋は岩淵橋とも称していた。 開通日当日は早朝から合図花火(信号雷)が両町協賛会より打ち鳴らされ、沿道には装飾がされたほかに各戸で国旗が掲揚された。開通式は岩淵側荒川堤防脇に設けられた会場にて両府県知事をはじめ、大臣や府県議会長や関係町村首長など約1000名が出席した。式典のあと、川口神社の神官を先頭に川口町および岩淵町の住民代表の三組の三世代家族による渡り初めが行なわれて、川口側会場へ入場され祝宴が催された。式に出席した来賓には川口特産の鋳物の記念品が贈呈された。また、開通記念行事として橋上短距離走が開催され。他にも活動写真の公開などさまざまな余興が催され、当日は約10万人の観客が動員されるなど夜まで大変な賑いだった。 この橋は1970年の橋の開通後に撤去されて現在は遺構は現存しない。左岸側橋詰のデルタ状の交差点は取り付け道路の名残である。
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