1928年オキーチョビー・ハリケーン
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「エバーグレーズの排水と開発」の記事における「1928年オキーチョビー・ハリケーン」の解説
詳細は「オキーチョビー・ハリケーン」を参照 その後の2年間、気象は穏やかだった。1928年、タミアミ・トレイルの建設が完了した。この道路はタンパからマイアミまでの唯一の道路だったので、その語頭を集めて命名されていた。その建設業者は、石灰岩層の上にある泥を吹き飛ばし、それを岩石で埋めて舗装するやり方を何度か試みた。夏の間の激しい雨でオキーチョビー湖の水位が数フィート上がり、これに気付いた地元新聞の編集者が水位を下げるよう要求した。しかし1928年9月16日、現在は1928年オキーチョビー・ハリケーンと呼ばれる大型の嵐が襲った。オキーチョビー湖の堤が破れた時に数千人が溺れた。死者の推計値は1,770人(赤十字社による数字)から3,000人以上まで、幅が大きい。多くの者の遺体は流出して、回収されることはなかった。死者の大半は黒人の移民労働者であり、ベルグレードとその近くに移って来たばかりだった。この惨事は全国的なニュースとなり、今回も州知事は救援を拒否していたが、嵐から1週間後に現地を視察して、まだ埋葬されずあるいは集められてもいない遺骸126体を数えることになると、州軍を動員して後始末を要請した。この時に打った電報では「大げさではなく、嵐に襲われた地域の状況は筆舌に尽くしがたい」となっていた。
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