18区 (パリ)とは? わかりやすく解説

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18区 (パリ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 05:40 UTC 版)

パリ・18区の位置
パリ・18区の位置

パリ18区 (18く、: 18e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである[1]。パリ18区ともいう。市の北部にあり、セーヌ川の北側に位置している。モンマルトルの丘は有名。

概要

パリの18区は、市の北部にある行政区。「ビュット=モンマルトル区 (Arrondissement des Buttes-Montmartre)」と呼ばれることもある[2]セーヌ川の北の地域にある。北には、ペリフェリック(パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれており、セーヌ=サン=ドニ県に接している。区内のモンマルトルの丘はパリで最も高い地点であり、その頂からはパリの眺望を楽しむことができる。人口は184,586人(1999年)で、20区の中では2番目に多い(人口の推移等詳細については後述)。

ドゥジャン通り (Rue Dejean) のマルシェ風景、2015年。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその18番目にあたることから、「18区」と名づけられた。

区南西部の小高い丘一帯はモンマルトルと呼ばれ、モンパルナスとともに"芸術の街"として世界的に有名である。区内には、サクレ・クール寺院、エスパス・ダリ、モンマルトル墓地ムーラン・ルージュなどがある。

18区の東側一帯は観光地であるモンマルトル一帯とは様相を異にする。パリ北部から東部一帯にかけて、元来移民の多い地域であるが、モンマルトルの東側地域、シャトー・ルージュ (Château Rouge) やバルベス大通り (Boulevard Barbès) 界隈などのいわゆる"ラ・シャペル (La Chapelle) 一帯"は、マグリブ諸国出身のアラブ系に加え、1990年代から(サハラ以南の)アフリカ系移民が多く暮らす街となっている[3]

パリ・18区の観光概略図

地理

サクレ・クール寺院パリ4区サン=ジャック塔 (Tour Saint-Jacques) からの眺め
観光客相手に(有料で)似顔絵を描く画家が集うテルトル広場モンマルトルの丘

18区は、パリの北部に位置している。セーヌ川の北の地域にあり[4]、パリで最も高いモンマルトルの丘からは南のパリ市街の眺望を楽しむことができる。面積は、6.01 平方キロメートル。

北は、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれ、セーヌ=サン=ドニ県の各自治体、北東はオーベルヴィリエに、北はサン=ドニに、北西はサントゥアンに接している。南は、同じパリの行政区である9区10区に接している。東は19区に接し、西は17区に接している。

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

パリ・18区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。18区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

  • 69 - グランド=カリエール地区 (Quartier Grandes-Carrières)
  • 70 - クリニャンクール地区 (Quartier de Clignancourt)
  • 71 - グット=ドール地区 (Quartier de la Goutte-d'Or)
  • 72 - ラ・シャペル地区 (Quartier de La Chapelle)

住民

人口

18区の人口は、1931年に288,810人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には3分の2以下の184,586人となった。20区のうちでは15区に次いで2番目に人口が多く、1982年以降は、パリの人口の8パーセント台で推移している。2005年の推計では188,500人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の3分の2以下の30,739人となっている。20区のうちでは11区10区に次いで3番目に人口密度が高く、パリの平均人口密度の1.3倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 138,109 1,851,792 7.46% 22,999 21,303
1931年 288,810 2,891,020 9.99% 48,095 33,258 人口がピークに達する。
1954年 266,825 2,850,189 9.36% 44,434 32,788
1962年 254,974 2,790,091 9.14% 42,460 32,097
1968年 236,776 2,590,771 9.14% 39,430 29,804
1975年 208,970 2,299,830 9.09% 34,799 26,457
1982年 186,866 2,176,243 8.59% 31,118 25,035
1990年 187,657 2,152,423 8.72% 31,250 24,761
1999年 184,586 2,125,246 8.69% 30,739 24,449
2005年 188,500 2,166,200 8.70% 31,391 24,920 人口は推計。

歴史

政治・行政・司法

主な官公庁・公共機関

第18区役所
  • 第18区役所 (Mairie du 18e arrondissement
    • 区中央部、オルドネ通り沿いにある。

生活

墓地等

教育

大学等

文化施設

新装なった「ゴーモン=パラス (Gaumont-Palace)」, 1931年。経営者はレオン・ゴーモンだった。欧州随一の映画館であったが、閉鎖直後の1973年に取り壊された。ムーラン・ルージュがあるブランシュ広場とクリシー広場とに挟まれた、クリシー大通り (ブールヴァール) との交差点界隈, コランクール通り (fr) 1番地にあった。隣接北側にはモンマルトル墓地。現在はホテル・メルキュール・パリ・モンマルトル (Hotel Mercure Paris Montmartre Sacre Coeur)。

美術館・博物館

映画館・劇場

  • アトリエ座(Théâtre de l'Atelier
  • アベス劇場(Théâtre des Abbesses
  • ドゥザーヌ劇場(Théâtre des Deux Ânes
  • ル・ディヴァン・デュ・モンドLe Divan du Monde
    • ピガール広場界隈マルティル通り (殉教者通り, Rue des Martyrs) 75番地にある、カフェ・コンセールないしキャバレーを改装したコンサートスペースないし劇場。1873年、カフェ・コンセールになり、ジャポニスムの影響から「ディヴァン・ジャポネ (Divan Japonais)」と改称し、その後、パントマイム劇場、1901年からはポルノ映画館・・などと変遷し、1994年から現在の形態及び名称になった[5]
  • ラ・シガールLa Cigale
    • 1887年、カフェ・コンセールとして出発した多目的ホールないし劇場。ピガール広場東側界隈、ロシュシュアール大通り沿いにある。

宗教施設

サクレ・クール寺院
区内東側界隈ラ・シャペル通り (fr) 16-18番地にあるサン=ドニ・ド・ラ・シャペル教会とサント=ジャンヌ=ダルク聖堂

教会・寺院

  • サクレ・クール寺院 (Basilique du Sacré-Cœur)
  • サン=ジャン=ド=モンマルトル教会 (Église Saint-Jean-de-Montmartre
  • サン=ピエール・ド・モンマルトル教会 (Église Saint-Pierre de Montmartre
  • サン=ドニ・ド・ラ・シャペル教会 (Église Saint-Denys de la Chapelle
  • サント=ジャンヌ=ダルク聖堂 (Basilique Sainte-Jeanne-d'Arc)
    • 第一次世界大戦西部戦線での激闘最中の1914年、ドイツ軍のパリ進撃が目前に迫っていた。そのため、上記サン=ドニ・ド・ラ・シャペルのアベ (l'abbé) により、救国の女神(ないしマリアンヌ)としてのジャンヌ・ダルクをモチーフに建設が提唱された。ちょうどその矢先、マルヌの戦いでドイツ軍の進撃が食い止められた。建設自体は1930-1964年にかけて、サン=ドニ・ド・ラ・シャペルに隣接ないし共有して行われた。パリでより上位にある教会堂という意味合いでバジリクを名乗る。
  • サン=ベルナール・ド・ラ・シャペル教会 (Église Saint-Bernard de la Chapelle
  • サント=エレーヌ教会 (Église Sainte-Hélène
  • サント=ジュヌヴィエーヴ・デ・グランド・カリエール教会 (Église Sainte-Geneviève des Grandes Carrières
  • ノートル=ダム・デュ・ボン・コンセィユ教会 (Église Notre-Dame du Bon Conseil
  • ノートル=ダム・ド・クリニャンクール教会 (Église Notre-Dame de Clignancourt

観光・憩い

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建築

公園・緑地等

  • テルトル広場Place du Tertre
  • レオン公園(Square Léon
  • レオン=セルポレ公園(Square Léon-Serpollet

名所・娯楽

旧跡・記念碑等

交通

鉄道

高速道路・有料道路

  • ペリフェリック (パリ環状道路) (Boulevard Périphérique
    • ポルト・ド・サントゥアン - ポルト・ド・クリニャンクール - ポルト・ド・ラ・シャペル - ポルト・ドーベルヴィリエ

道路

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  • アベス通り(Rue des Abbesses
  • エミール=デュプロイエ通り(Rue Émile-Duployé
  • オーベルヴィリエ通り(Rue d'Aubervilliers
  • オルドネ通り(Rue Ordener
  • オルナノ大通り(Boulevard Ornano
  • キュスティーヌ通り(Rue Custine
  • クリシー大通り (アヴェニュー)(Avenue de Clichy
    • クリシー広場から北側方面へ、17区との区境を走り、途中分岐して西側17区内に折れていく。分岐したもう一方の東側17区・18区の区境を走るのは下記サン=トゥアン大通り。
  • クリシー大通り (ブールヴァール)(Boulevard de Clichy
    • 下記ラ・シャペルやロシュシュアールから続き、クリシー大通り (ブールヴァール)へ繋がる、18区と9区との境界線を東西に走る通り。ピガール広場やブランシュ広場を通り、8・9・17区との区境にあたり区内南西端クリシー広場に至る。かつて、パブロ・ピカソもこの通りの11番地に居住していた。
  • クリスティアニ通り(Rue Christiani
  • コランクール通り(Rue Caulaincourt
    • ラマルク通り同様、モンマルトルの丘を北側からグルッと囲むように走る通り。
  • サン=トゥアン大通り(Avenue de Saint-Ouen
    • 上記クリシー大通り (アヴェニュー) が西側17区内に折れるのに対し、同大通りと分岐して17区との南北に走る区境をそのままサン=トゥアンまで続く通り。通り先で、ポルト・ド・サン=トゥアン大通りと名を変えて続いていく。
  • シャンピオネ通り(Rue Championnet
  • ジュノー大通り(Avenue Junot
  • ステファンソン通り(Rue Stephenson
  • ダンレモン通り(Rue Damrémont
  • デュエズム通り(Rue Duhesme
  • ネイ大通り(Boulevard Ney
  • バルベス大通り(Boulevard Barbès
    • 18区内を南北に走る通り。アフリカ系移民らが多いメトロバルベス=ロシュシュアール駅交差点界隈で東西を走るラ・シャペル及びロシュシュアール大通りと交差し、9区・10区との境界線上を走るフォーブール=ポワソニエール通り、及び10区内を右斜め下に伸びるマジャンタ大通りに続いていく。
  • ヴォーヴナルグ通り(Rue Vauvenargues
  • ポトー通り(Rue du Poteau
  • ポワソニエール通り(Rue des Poissonniers
  • マルカデ通り(Rue Marcadet
  • マルクス=ドルモワ通り(Rue Marx-Dormoy
  • マルティル通り(殉教者通り, Rue des Martyrs
  • ミハ通り(Rue Myrha
  • モン=スニ通り(Rue du Mont-Cenis
  • ラ・シャペル大通り(Boulevard de la Chapelle
    • メトロ ベルヴィル駅交差点から、10区と19区との境界線上を走るラ・ヴィレット大通りから名を変え接続する。10区さらに9区と18区との区界を東西に走るラ・シャペル大通りから、さらにロシュシュアールやクリシー大通り (ブールヴァール)と名を変えサクレ・クール寺院南側やムーラン・ルージュ界隈に至る。
  • ラ・シャペル通り(Rue de la Chapelle
  • ラマルク通り(Rue Lamarck
    • コランクール通り同様、モンマルトルの丘を北側から東側へグルッと囲むように走る通り。
  • ルピック通り(Rue Lepic
    • ブランシュ広場から「くの字」状でサクレ・クール寺院西側テルトル広場西側界隈まで伸びる通り。モンマルトルの丘西側界隈の通り。
  • ロシュシュアール大通り(Boulevard de Rochechouart
    • 上記東側ラ・シャペル大通りから続き、クリシー大通り (ブールヴァール)へ繋がる、18区と9区との境界線を東西に走る通り。名称は、名門貴族ロシュシュアール公に連なる18世紀前半のモンマルトル女子修道院(Abbaye de Montmartre)長マルグリット・ド・ロシュシュアール (fr) から。
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広場・交差点

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パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。18区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • アルベール=カーン広場(Place Albert-Kahn
  • エベール広場(Place Hébert
  • クリシー広場(Place de Clichy
  • シャトー・ルージュ広場(Place du Château Rouge
  • ダリダ広場(Place Dalida
  • テルトル広場Place du Tertre
  • ピガール広場(Place Pigalle
    • 9区と18区の境界に位置している。
  • ブランシュ広場(Place Blanche

著名な出身者

政治

文化

芸能

スポーツ

著名な居住者

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 (ルノワール作, 1876年)
ル・ムーラン・ド・ラ・ギャレット (ゴッホ作, 1886年秋)

政治

文化

ルピック通り界隈居住者

芸能

その他

ゆかりの人物

王侯貴族

政治

18区を舞台にした作品

絵画

映画

脚注

  1. ^ フランス語の 「18e 」 = 「dix-huitième 」 は、英語の「eighteenth 」 に相当する序数。「第18の」 「18番目の」を意味する。したがって、原語の「18e arrondissement 」を直訳すると「第18区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ Château Rouge: a “Little Africa” in Paris? by Marie Chabrol & translated by Oliver Waine, on 22 May 2013. Metro Politics .eu
  4. ^ セーヌ川右岸の地域にあたる。
  5. ^ 「パリの劇場-ル・ディバン・ドュ・モンド」フランス観光開発機構
  6. ^ a b 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.149.
  7. ^ “Le Bateau Lavoir - Histoires de Montmartre Montmartre-Guide.com” (フランス語). Montmartre-Guide.com. http://www.montmartre-guide.com/histoires_montmartre/bateau-lavoir/ 2018年8月31日閲覧。 
  8. ^ Marguerite Sordes, épouse Charles Sordes, 39 rue Dulong, expose en 1903 des broderies au Salon de la SNBA, in: « Fiche exposant SNBA 1903 », base salons du musée d'Orsay.

参考文献

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク




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