黄金の自由とは? わかりやすく解説

黄金の自由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 16:29 UTC 版)

ポーランド・リトアニア共和国」の記事における「黄金の自由」の解説

詳細は「黄金の自由」を参照 共和国政治原則は「我が国国王統轄の下にある共和国である」というものである大法官ヤン・ザモイスキはこの原則を「国王は君臨すれども統治せず "Rex regnat et non gubernat" 」と要約する共和国選挙王元老院セナト)のほか、代議制議会であるセイム有していた。国王ヘンリク条項および選出時に取りきめられるパクタ・コンヴェンタにより規定され共和国市民(=シュラフタ)の諸権利尊重することを義務付けられた。 王権強大な貴族階級権力のために制限受けていた。歴代国王ポーランド政治システム(およびほぼ前例のない宗教的寛容)の根幹をなすヘンリク条項署名せねばならなかった。時代が下るにつれ、ヘンリク条項パクタ・コンヴェンタ組み合わされていき、選挙王が誓うべき明確な誓約という性格をもった。その結果国王は常に元老院監督を受けるようになった。のちにヨーロッパ初の成文憲法本格的な近代民主主義憲法である1791年5月3日ポーランド憲法成立すると、国王は「国家所有者」や「国民支配者ではなく、「国民所有する国家に対して無限の責任を負う国家代表者」(近代的な立憲君主)であると規定された。 共和国政治システムとしての「黄金の自由」(ポーランド語表記:Zlota Wolność,この語は1573年から使われ始めた)は、以下の諸要素をその基礎とした。 国王自由選挙国王選出投票希望する全てのシュラフタによる自由選挙によって行う。 セイム国王によって2年ごとに召集される共和国代議制議会パクタ・コンヴェンタ即位時に国王共和国政府との間で取り決める統治契約諸権利請願行われる国王政治行動束縛し初期ヘンリク条項由来するロコシュ抵抗権)…貴族保障されている諸特権国王によって脅かされ場合反乱を起こすことを法的に認められる権利リベルム・ヴェトセイムでの決議において多数派決定を、代議員一人反対によって否決出来権利セイム会期中、全ての法案廃案にしてきた「無制限拒否権」として悪名高い17世紀後半危機の時代に入ると、リベルム・ヴェト地方議会(セイミク)にも適用された。 連盟…共通の政治目的のために団体結成する権利。 3地域後述)のみが共和国内の自治領としての権利享受していた。各県にはそれぞれに地方議会(セイミク)が置かれていた。セイミクは国家立法府セイム)に送り込む代議員選出し指示書によって代議員様々な要望提案をする権利有していた。リトアニア大公国ポーランド王国王冠領呼ばれた)とは別個に軍隊国庫官職体系組織していた。 黄金の自由は当時としては国家特異な性格与えたが、同時代にはヴェネツィア共和国のような都市国家類似した政治システム採用していた(両国は「最も静穏な共和国」を自称した点でも共通していた)。ヨーロッパ諸国中央集権化絶対主義宗教戦争王朝による争い直面している時期共和国地方分権国家連合連邦制民主政治宗教的寛容さらには平和主義までも経験していた。シュラフタがしばしば国王による戦争計画廃案にしたことは、民主的平和論に関する論議相当するものとさえ見なされる。 この政治システムは他の階級王権立脚した政治システム対すシュラフタ貴族階級独占的な勝利由来する。この時代シュラフタはニヒル・ノヴィ(1505年)を始めとして十分すぎる特権蓄積し、どの王も彼らの支配力で捩じ伏せることは出来なかった。共和国政治システム単純なカテゴライズには適しないが、一応は以下のような定義付け混ざり合う状態にあるといえる広大な自治領領域内に含む国家連合ないし連邦共和国国家連合連邦体制にあったかは限定しにくい。 寡頭制シュラフタのみが参政権持ったといっても、彼らの階層人口の約10%占めていたのであり、少数者による支配というイメージとはずれがある。 全てのシュラフタ等し権利特権与えられる民主政治。彼らの拠るセイム立法外交宣戦布告課税既存税制変更新しい税の制定)といった重要な事項について国王反対出来る。共和国当時ヨーロッパ諸国の中で最も高い、約10%参政権者抱えていた。フランスでは1831年時点人口の約1%1867年イギリスでは約3%に参政権与えられているに過ぎなかったのとは対照的である。 選挙王制シュラフタによって選出される国王、つまり世襲君主でない国王国家首長であること。 立憲君主制、つまり君主パクタ・コンヴェンタその他の法律によって誓約されており、シュラフタ国王法的に不正な行為をしている場合は従う義務はないとされた。

※この「黄金の自由」の解説は、「ポーランド・リトアニア共和国」の解説の一部です。
「黄金の自由」を含む「ポーランド・リトアニア共和国」の記事については、「ポーランド・リトアニア共和国」の概要を参照ください。

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