青木保による戦後日本人論の変容とは? わかりやすく解説

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青木保による戦後日本人論の変容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:33 UTC 版)

日本人論」の記事における「青木保による戦後日本人論の変容」の解説

1990年青木保は、「戦後日本」の「文化アイデンティティー」を整理して振り返りいとして、『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化アイデンティティー』を著した青木戦後の時代4つ区分しその時期を代表する著作を「選択」し、戦後日本人論変容として提示する。そして、すべての戦後日本文化論影響与えた著作として、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(1948年)を挙げベネディクトの、自身欧米人)の偏見から逃れようとする文化相対主義慎重な態度複眼的アプローチ評価する第1期否定的特殊性認識」(1945年-1954年坂口安吾堕落論』(1946年)、きだみのる気違い部落周遊紀行』(1946年)、桑原武夫現代日本文化反省』(1947年)、川島武宜日本社会家族的構成』(1948年)、南博日本人心理』(1953年第2期歴史的相対性認識」(1955年-1963年加藤周一雑種文化』(1956年)、梅棹忠夫文明の生態史観序説』(1967年)、ロバート・ベラー日本近代化宗教倫理』(1956年)、エドウィン・O・ライシャワー 第3期肯定的特殊性認識前期1964年-1976年)、後期1977年-1983年中根千枝日本的社会構造発見』(1964年)、中根千枝タテ社会人間関係』(1967年)、作田啓一『恥の文化再考』(1964年)、尾高邦雄日本経営』(1965年ジェームズ・アベグレン日本経営1958年についての考察)、土居健郎甘えの構造』(1971年)、木村敏『人と人との間』(1972年)、三島由紀夫文化防衛論』(1968年)、濱口恵俊『「日本らしさ」の再発見』(1977年)、村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎文明としてのイエ社会』(1979年)、エズラ・ヴォーゲルジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)、フランシス・シュー『比較文明社会論-クラン・カスト・クラブ・家元』(1971年)、村上泰亮新中間大衆時代』(1984年)、山崎正和柔らかい個人主義』(1984年第4期「特殊から普遍へ」(1984年-1990年尾高邦雄日本的経営 その神話現実』(1984年)、小沢雅子『新・階層消費時代所得格差拡大その影響』(1985年)、チャルマーズ・ジョンソン通産省日本の奇跡』(1982年)、ピーター・デール(Peter N. Dale)『日本的独自性神話』(1986年)、ハルミ・ベフ『イデオロギーとしての日本文化論』(1984年)、対日貿易戦略基礎理論編集委員会『公式日本人論-『菊と刀貿易戦争篇』(1987年)、山崎正和文化開国への挑戦 日本世界史実験』(1987年)、カレル・G・ファン・ウォルフレン『日本問題』(米外交誌『フォーリン・アフェアーズ』、1986年)、カレル・G・ファン・ウォルフレン『日本 権力構造の謎』(1989年)、ジェームズ・ファローズ『日本封じ込め-強い日本 vs 巻き返すアメリカ』(1989年

※この「青木保による戦後日本人論の変容」の解説は、「日本人論」の解説の一部です。
「青木保による戦後日本人論の変容」を含む「日本人論」の記事については、「日本人論」の概要を参照ください。

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