霜害防止菌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:28 UTC 版)
「シュードモナス・シリンガエ」の記事における「霜害防止菌」の解説
霜害防止菌 (英: ice-minus bacteria) とは、氷核活性タンパク質の生産に関わる遺伝子を欠損させたP. syringaeの変異体株である。 米国だけで、一年間での作物被害のうち約10億ドルが霜害によるものと推定されており、一般的に霜害の最大の要因は、氷核活性を持つ (英: ice-plus) P. syringae株であると考えられている。植物の表面へのP. syringae霜害防止株の導入は株間の生存競争を招く。霜害防止株が勝ったとき、P. syringaeによりもたらされた氷核はもはや存在せず、通常の水が凝固する温度(0℃)での植物表面での霜の発生レベルを低下させる。霜害防止株が勝たなかった場合であっても、氷核活性P. syringae株に由来する氷核の量は減少すると予想される。結果として、霜害防止菌の導入は、環境中の氷核の存在量を減らして作物の収量を高める。遺伝子工学によりFrostbanという霜害防止株が商業製品として人工的に開発され、後述する論争を引き起こし、今日の米国のバイオテクノロジー政策が形成されるきっかけとなった。 1961年、アメリカ農務省のポール・ホッペ(Paul Hoppe)は、コーンに病害をもたらす真菌の研究に用いるために各シーズンで感染したコーンの葉を粉砕してさまざまな実験を行っていたが、その年、コーン粉末により感染した植物だけが霜害をこうむり、健康な植物は凍らなかったことを発見した。1970年代初頭、ウィスコンシン大学マディソン校の大学院生ステファン・リンドウ(Stephen Lindow)がD. C. アーニー(D.C. Arny)とC. アッパー(C. Upper)とともに枯死した葉の粉末に細菌を発見した。現在、カリフォルニア大学バークレー校の植物病理学者リンドウ博士は、この独特の細菌がもともと存在しない植物にこの細菌を導入したとき、その植物は霜害に対して非常に脆弱となったことを発見した。彼は研究を進めてこの細菌をP. syringaeとして同定し、氷核におけるP. syringaeの役割を調査し、1977年に霜害防止変異株を発見した。後に、彼はDNA組み換え技術を用いてP. syringaeの霜害防止株の作成に成功した。 1983年に、バイオテクノロジー企業のAdvanced Genetic Sciences (AGS)が、P. syringaeの霜害防止株を野外試験するための承認をアメリカ政府に申請したが、環境団体や一般人の抗議により野外試験が4年間延期されることになった。1987年、このP. syringae霜害防止株はカリフォルニア州のイチゴ農場でスプレーにより噴霧され、遺伝子組み換え生物として世界で初めて環境中に開放導入された。結果は、処理した植物への霜害が低下すること示し、研究チームにとって将来有望なものであった。リンドウ博士はP. syringae霜害防止株を噴霧したジャガイモの苗を用いた実験も行い、ジャガイモ作物を霜害から守ることに成功した。 リンドウ博士による霜害防止菌の研究が行われていたとき、遺伝子工学は非常に大きな論争の議題であった。ジェレミー・リフキン (英: Jeremy Rifkin) と彼が運営していたFoundation on Economic Trends (FET)はこの野外試験を延期させるためにアメリカ合衆国連邦裁判所のアメリカ国立衛生研究所(NIH)に告訴し、NIHは、生態系や地球全体の気象に対する環境影響評価の実行および霜害防止菌の潜在的効果の調査をしなかったと主張した。両試験の承認後、実行される前に試験は、「世界初の試みは世界初のごみを野外に捨てる人が集まる場となった」(原文:The world's first trial site attracted the world's first field trasher)と主張する活動家団体によって攻撃された。英国放送協会(BBC)は環境保護団体のEarth First!のアンディ・カフリー (英: Andy Caffrey) から「バークリーの一企業が私のコミュニティーにFrostbanなる細菌を解き放つことを計画していると聞いたとき、私はナイフが私に突き刺さったのをまさに感じた。またもや、金儲けのために、化学、テクノロジー、企業が、この惑星にこれまで存在しなかった新しい細菌で私の体を侵略するつもりだった。スモッグによって、放射能によって、私の食べる物の中の有毒な化学物質によってすでに侵略は始まっており、私はこれ以上受け入れるつもりなどない」(原文:When I first heard that a company in Berkley was planning to release these bacteria Frostban in my community, I literally felt a knife go into me. Here once again, for a buck, science, technology and corporations were going to invade my body with new bacteria that hadn't existed on the planet before. It had already been invaded by smog, by radiation, by toxic chemicals in my food, and I just wasn't going to take it anymore.)という言葉を引用した。結局、Frostbanの販売は実現しなかった。 リフキンの法的闘争は成功し、ロナルド・レーガン政権(当時)に、農業分野のバイオテクノロジーに関する連邦政府の意思決定の指針とするための包括的な規制政策の迅速の策定を余儀なくさせた。1986年、アメリカ合衆国科学技術政策局 (英: Office of Science and Technology Policy:OSTP)が「バイオテクノロジー規制の調和的枠組み」 (英: Coordinated Framework for Regulation of Biotechnology) を策定し、アメリカの規制当局の決定を支配し続けている。
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