阿波丸事件・第4の哨戒、1945年2月 - 1945年4月
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「クイーンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「阿波丸事件・第4の哨戒、1945年2月 - 1945年4月」の解説
詳細は「阿波丸事件」を参照 2月24日、クイーンフィッシュは4回目の哨戒でスポット (USS Spot, SS-413) 、シーフォックス (USS Sea Fox, SS-402) とウルフパック「ポストズ・パンツァーズ Post's Panzers」を組んで東シナ海、台湾海峡方面に向かった。「パンツァーズ」はその名を冠した2つ目の部隊であり、スポット艦長ウィリアム・S・ポスト・ジュニア中佐(アナポリス1930年組)に率いられ、途中、サイパン島で補給することになったが、クイーンフィッシュはサイパン島到着までに新しく入った乗員を艦に慣らすことにした。3月6日にサイパン島に到着し、潜水母艦フルトン (USS Fulton, AS-11) に横付けして整備ののち、3月9日に出航。この時、一通の重要な伝言、緑十字船阿波丸(日本郵船、11,249トン)の行動に関する情報が書かれた伝言がクイーンフィッシュに積まれていたが、さしたる関心は引かなかった。 クイーンフィッシュは3月22日に病院船を発見したほか、空母のような艦船も含めて4月1日の日没までに5隻の敵艦船との接触があったが、いずれも攻撃には至らず乗組員の間にはイライラが募っていた。この間、スポットが搭載魚雷を全て消費し補給のため帰還、部隊の指揮はラフリン中佐が執ることとなった。 4月1日22時、クイーンフィッシュのレーダーに反応があった。ラフリン中佐は戦闘配置を令し、目標を待ち構えた。クイーンフィッシュは目標から見て東北に位置し、距離を詰めて相手が対潜行動を取っているかどうか確認した。濃霧の中で目標は接近し、聴音すると重たいスクリュー音がしたので、相手は駆逐艦か護衛艦であろうと思われた。クイーンフィッシュは艦尾発射管を目標に向け、23時ごろに魚雷を発射。魚雷は全て命中し、目標が2つに割れて消え去ったのを確認した。ラフリン中佐は回頭して撃沈推定位置に移動するよう命じ、油と残骸が漂うその位置に移動すると、20名ぐらいの溺者がいた。クイーンフィッシュから浮き輪のついたロープが放り込まれたが、1名を除いて海中に消えていった。その1名、下田勘太郎が尋問で船名を問われ、「アワマル」とカタカナで書いたので関連情報を探したところ、さきの重要な伝言に関連した電文が見つかり、撃沈したのは病院船扱いの安導権をアメリカ政府によって保証されており、捕虜収容所への赤十字の救援物資を運搬していた阿波丸だったことが判明。濃霧の中、阿波丸は国際協定に従って汽笛を鳴らしながら航行していた。これを聞いたラフリン中佐は一言、「そんな馬鹿な」と言った。 クイーンフィッシュによる阿波丸の撃沈は国際法違反であり、戦時中にもかかわらずアメリカ政府はその責任を認めることとなった。しかし、別ルートでこのミスを知った合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キングは、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツに事の次第を素早く伝えるよう催促したが、ニミッツはのらりくらりと返答を伸ばし伸ばしにし、18時間後にようやく返答した。ニミッツはまた、太平洋艦隊潜水艦隊司令官チャールズ・A・ロックウッドの進言で、クイーンフィッシュの帰投を意図的に遅らせることに賛成した。クイーンフィッシュは4月3日まで探索を続けたが、包みに包まれた生ゴムと中身が分からない箱を回収しただけだった。 4月7日、クイーンフィッシュは哨戒期間の延長を要求したが、その返事は哨戒期間延長ではなく即時の帰投であった。ラフリン中佐や高級幹部は腹を決め、戦闘報告をしたためた。帰投途中の4月11日、クイーンフィッシュはPB4Y-2 プライバティアの乗組員13名を救助すべく、一旦引き返した。クイーンフィッシュは荒天の中、2隻のいかだに分乗した13名を救助し、駆逐艦への移乗要求を敢えて断り、弁護のダシにしようと目論んだ。クイーンフィッシュは46日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。出迎えたロックウッドはラフリン中佐に、艦長の職を解き軍法会議にかけられることを告げた。彼は3つの罪で告訴され、命令に対する不注意ということで有罪判決を受けた。戦後阿波丸は協定に反して軍需品を積載していたことが確認された。ラフリンはその後将官まで昇進した。後任の艦長には、艦長心得として乗艦していたフランク・N・シェーマー(アナポリス1937年組)が就任した。
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