醍醐寺聖教類とは? わかりやすく解説

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醍醐寺聖教類

主名称: 醍醐寺聖教類
指定番号 2515
枝番 00
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 16441点
時代区分 奈良江戸
年代
検索年代
解説文:  真言宗小野流中心である醍醐寺には、事相教相などに関する聖教類が多数残されている。今回は、一〇一函から三〇〇函までの二〇〇函分を対象としている。この二〇〇函分は、函にみられる朱書花押などから、おおよそ八〇代座主義演【ぎえん】(一五五八一六二六年)の時代整理されたものを中心としていることが知られる時代的には奈良時代から江戸時代までがほとんどである。
 奈良・平安時代のものには経典類の書写本が多い。なかでも、『梵網経ぼんもうきょう】』巻上にみられる平安初期白書および朱書万葉仮名は、訓点くんてん創始期資料として国語史料上、きわめて貴重である。また、白河上皇帰依受けた勝賢しょうけん】の著作は、『言雑秘記』『孔雀経記』など多数に及ぶ。
 鎌倉時代には、成賢じょうげん】(一一二-一二三一年)等の学僧によって多数次第本がまとまって書写されている。成賢著作に、曼茶羅中の諸尊供養する東密作法集大成した『薄双紙』などがある。一五〇・一六番台の函には、密教図像関係が集中している。特に、建久四年(一一九三)書写推定される図像鈔』一〇巻の最古写本東密事相伝える『覚禅抄』の文永三・四年厳雄書写本などが含まれている。醍醐流声明しょうみょうに関するものとしては、岳西院流の祖玄慶(?-一二八年)の著作になる声明集が知られ一九〇・二〇番台の函に声明の譜本類、二一番台講式論議伽陀【かだ】などが収められている。
 南北朝時代には、足利尊氏従い、その信頼得て宗教界政界活躍した五代座主賢俊けんしゅん】(一二九九一三五七年)がいる。康永三年一三四四)、貞和四年(一三四八)に修した普賢延命法記録普賢延命法御修法記』など、賢俊行った修法確認できるまた、観応擾乱によって、延引した観応二年(一三五一)の後七日に関する記録など社会動静伝えるものもある。
 室町時代には、足利義満義持義教信頼を得、黒衣の宰相といわれた七三座主満済まんさい】(一三七八一四三五年)がいる。満済護持僧として、五代将軍義量のために応永三十二年(一四二五)二月二十四日に『普賢延命次第』を、応永三十五年(一四二八)には義持のために『普賢延命法記』を書写している。また、満済の伝領本には、実運一一五六-六〇年ころ)が三宝院流口伝記した『玄秘抄』『金宝鈔』『諸尊容鈔』の後三部鈔などが知られる
 義演関係は一七番台から一九番台の函にまとまっている。特に、義演手沢本顕注密勘』や、『醍醐寺草創等記』、醍醐寺歴代座主に関する最も詳細な記録である『五八代記』が注目される所持本の諸尊法』は、鎌倉時代中期のもので、遍智院における諸尊法の集大成ともいうべきものを伝領している。また、義演は伝領した三教指帰』などに修理加えている。聖教類の書写蒐集尽力するとともに醍醐寺経蔵護持意を用いていることが知られる
 この他室町時代における醍醐寺法会全貌法会諸堂経済的な基盤を記す『下醍醐年中行事』『大導師年中行事』や、第九五代長者能助僧正までを記している『東寺長者補任』、寛正四年(一四六三)書写になる『法流相承次第』、明応五年(一四九六)持厳書写になる『座主次第』、江戸時代初期醍醐寺動静を示す『寛永年間日記』など、注目されるものも少なくない
 醍醐寺聖教類は真言宗寺院集積され聖教類の第一に挙げられるのである



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