醍醐寺文書
主名称: | 醍醐寺文書 |
指定番号: | 124 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 16403通 |
時代区分: | 平安~江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 醍醐寺は、貞観十六年(八七四)に聖宝が草創した真言密教寺院で、醍醐天皇の御願寺となり、爾来、朝廷、室町幕府の崇敬厚く、東密小野流の中心として発展した。この醍醐寺には現在約七百函に及ぶ文書聖教類が一括して保存されており、その調査は明治三十八年頃から東京帝国大学教授黒板勝美氏によって始まり、現在も継続中であるが、今回の指定は、それらの文書聖教類のうち第一函より第百函に収められた平安時代以降の文書一六四〇三通を対象とした。 文書の内容は醍醐寺の歴史を反映して多岐にわたっているが、おおよそ法流の相承や、法会の運営等にかかわる文書、寺領の支配や伝領に関するもの、公武との密接な関係を示すもの、僧侶の社会生活にかかわるものなどに大別される。このうち法流の相承にかかわる文書としては、天仁二年(一一〇九)三月二日に勝覚が賢覚に与えた附法状などがみえ、寺領関係の文書では、康治二年(一一四三)七月十六日の尾張国安食郷内田畠等検注帳案をはじめ、平安時代から江戸時代に至るまでの寺領の変遷を詳しく辿ることのできるものが数多い。武家文書のうち特に室町幕府との関係を示す文書は第一函にまとめられ、将軍代々の御教書や御内書等が収められている。なかには観応二年(一三五一)十月二十六日の丹波篠村八幡宮別当職を安堵した賢俊宛ての足利尊氏書状など将軍自筆の書状もみられる。また、寛正五年(一四六四)十一月二十七日の大僧都弘鎮放状のように僧侶の師弟関係の具体的あり方を明らかにしている文書もある。さらに公家様文書も数多く、綸旨正文としては最も古い天喜二年(一〇五四)二月十二日後冷泉天皇綸旨など、古文書学の上でも注目すべき史料が少なくない。 このように本文書は、質量ともにわが国の寺院文書中屈指のものであり、中・近世の歴史学の諸分野の研究上に価値が高い。 |
古文書: | 遊行歴代他阿弥陀仏書状類 達磨寺中興記石幢 都玉記 醍醐寺文書 金山寺文書 金沢文庫文書 金銀絵料紙墨書明全戒牒 |
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