過去の運行車両
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交流電化試験時の車両は「#日本初の交流電化」の節も参照 455系 (1968年10月1日 - 2001年3月31日) 国鉄時代は急行「仙山」中心の運用であったが、日中の普通列車にも運用されていた。快速に格下げ時も基本的にそのまま運用に大きな変化はなかったが、2ドア車のため1990年代に入るとラッシュ時の輸送に大きな欠陥が生じたため、仙台地区の他の路線よりも一足先に撤退した。3 - 6両編成で運転していた。 1997年から運用離脱までは仙山線専用の塗装の車両が登場し、青をベースに、1編成3両に渡って蔵王連峰をイメージして山なりに抜かれた白地の塗装、前面と側面の「SENZAN LINE 455」のロゴが特徴であった。その後はロゴが消された状態でしばらく運用された。 他にも、沿線大学の学生によってデザインされたパッチワーク塗装やオプティカル塗装が存在した。 701系 (2001年4月1日 - 2017年10月13日) 100・1000・1500番台の2両編成が用いられた。仙山線での運用は仙台 - 愛子間(運用の都合で陸前白沢まで回送)のみでラッシュ時の上下3本、2両編成で運転されていた。仙台車両センター所属の701系2両編成はE721系ワンマン車と共通運用が組まれているため、稀にE721系ワンマン車が入線することもあり、大学入試センター試験や宮城県前後期高校入試の際には701系同士やE721系と編成が組まれ、例外的に4両編成で運用された。 719系 (1990年3月10日 - 2013年3月14日) 通常は4 - 6両編成で運転され、2両編成も存在した。455系在籍時は主に仙台駅 - 作並駅間の普通列車を中心に運用され、455系の撤退後は長らく仙山線の主力車両であったが、本形式の軽量なステンレスボディと485系電車からの廃車発生品であった台車は相性が悪く、山間部での車輪空転などによる故障が目立つようになったため、2012年3月17日以降は夕方の快速1往復のみの運用となっていた。 583系 過去に急行「津軽」として山形新幹線開業準備のための福島駅 - 山形駅間改軌工事に伴う迂回運転で入線実績があるほか、2003年より仙台車両センター所属車が臨時列車「ゲレンデ蔵王」「仙山もみじ」として稀に入線していた。2007年11月11日に運転された「仙山全線開通70周年号」もこの車両を使用した。 485系 (1991年8月27日 - 1992年6月30日) 山形新幹線開業準備への改軌工事対応のため、仙台駅 - 山形駅間で特急「つばさ」として運用していた。なお、仙山線では軌道の手直し無しではこの485系は入線不可だったため、運転開始直前に最高速度を85 km/hから95 km/hに引き上げる路盤強化工事などを行っている。その後も臨時列車や団体列車で入線することがあった。 417系 (1978年8月3日 - 1990年3月9日) 朝のラッシュ時に仙台 - 作並間の運用に就いていた。こちらも2ドア車であったため、719系導入と同時に運用が消滅している。 キハ58系 (時期不明 - 1985年3月13日) 「べにばな」などの急行用の車両であったが、仙台駅 - 作並駅間普通列車での間合い運用も存在した。普通列車として運用する際は勾配対策のため北山駅と国見駅は通過していた。仙山線の急行廃止に伴い、運用消滅。 キハ22形 (時期不明) 普通列車としてキハ58系との併結で使用していた。車両の一部は荷物室として仕切られていた。 ED78形 勾配区間に対応する回生ブレーキを持ち、当時軸重制限があった本路線と奥羽本線共通の専用機として開発され、1993年までは福島運転所(←福島機関区)、以降は仙台電車区に所属し、1998年まで貨物列車の牽引に用いられた。その後も最終増備車の12・13号機が「落ち葉清掃」運用に投入されていたが、2000年に除籍・廃車された。なお、路盤強化工事後はED75形の入線が可能となっている。 仙山線で運用された蒸気機関車としては、C58形(仙台駅 - 作並駅間)や9600形(山寺駅 - 山形駅間)がある。このほかに1980年代前半までは主に客車を使用しており、郵便荷物合造車も連結していた。 701系 719系電車 455系電車(仙山線塗装 ロゴ消去後)
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