逸話・評価
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彼女の半生を基にした映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』が2011年に制作された。 旧軍事政権との繋がりの深い政商から、NLDが金を受け取っていたことが判明している。彼ら政商は軍事政権の取り巻きの立場を利用して富を築いており、国内でも悪評が高い。内訳は教育・医療対策のために実業家テー・ザTay Zaから8万2,353ドル、チョー・ウィンから15万8,824ドルである。テー・ザは武器密輸の疑い、チョー・ウィンは南部カレン州で起きた強制土地収用に関係している。同じくNLDに献金していたゾー・ゾーが所有する財閥マックス・ミャンマーは、2013年1月現在も欧米からの制裁を受けている。イラワジ誌によれば、NLDの行動を擁護し、「軍事政権の取り巻きだったとされる人々は、NLDなどの社会活動を支援してきた。そのどこが悪いのか?目的もなく金を使う代わりに、彼らは支援するべきことを支援した。それはいいことだ」と語った。 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は2013年版の年次報告において、アウンサンスーチーについて「少数民族の人権保護に消極的で、失望している」との批判を掲載した。アラブ系メディアのアルジャジーラも2015年、イスラム系少数民族のロヒンギャの難民問題について、多数派である仏教徒の支持を得るために迫害を黙殺しているとの報道を行っている。 2013年にBBCのパキスタン系英国人キャスターからロヒンギャ問題について見解を問われ、「イスラム教徒と仏教徒の両サイドがお互いに恐怖心を持っていることに起因している。恐怖心はイスラム教徒だけが抱いているわけではない」「軍事政権によって暴力にさらされ、国を追われてきたのはイスラム教徒だけではない。それよりもより多くの仏教徒も暴力にさらされ、国を追われている」と答えた。2017年にBBCのインタビューで、ロヒンギャ問題について見解を問われ、「それについてはすでに2013年に同じ質問を受けて回答している。質問に答えたのに何も答えなかったかのように言われるのは、単に人々が求めているような、どちらかの陣営を強く非難するようなコメントをしなかったからだ。しかし、私はマーガレット・サッチャーでもなければ、マザー・テレサでもない。政治家だ」と答えた。2013年のBBCインタビュアーはパキスタン系の英国人キャスターであったが、アウンサンスーチーは「よりによってイスラム教徒なんかからあれこれつつかれるなんて、誰からも聞かされていなかったわ」と周囲に当たり散らしたとされ、この事実は2016年に出版されたピーター・ポッパムの評伝『”レディ”と将軍たち』において明らかにされた。2016年にスーチーのこれらの差別的な発言をめぐり、「ノーベル平和賞取り消し」を求める署名キャンペーンがChange.orgで行われ、5万人以上の署名が行われた。ロヒンギャ問題に関しては、2017年にも「ノーベル平和賞取り消し」を求める署名活動が行われており、さらに多くの36万もの署名を集めている。 2017年9月にラカイン州のロヒンギャの武装勢力と治安維持部隊の衝突について、ロヒンギャ勢力に対し残忍な方法で鎮圧を図っているとして国際的な非難が集まっている点について、トルコのエルドアン大統領との電話会談中の発言の引用として、「政府はすでに取りうる最善の方法でラカイン州の人々を保護している。非難はテロリストのばらまいたフェイクニュースに基づいており、それらは氷山の一角に過ぎない。政府に対する非難はテロリストを利するものだ」と声明を出した(ミャンマー政府は軍事政権時代から、ロヒンギャを「ベンガル人」と呼び、バングラデシュからの不法移民であるとして自国民として取り扱っておらず、「ラカイン州の人々」にロヒンギャが含まれることについては疑問がある)。一方、13万人近いともされるロヒンギャ難民、彼らが政府が国境地帯に急きょ敷設したとされる地雷で負傷していることについては完全に沈黙した。しかし国民からの支持が強く、国連など様々な団体から支援を受けるためのロヒンギャの嘘であると主張しているが、そう報道していると思われる。ミャンマー人の国民性として、話を美化したり知っている振りをするため、真実は分からない。 2019年12月11日にロヒンギャ問題、オランダ・ハーグの国際司法裁判所の法廷に国家顧問兼外務大臣として出廷した際には、西部ラカイン州でロヒンギャの武装集団が政府施設を襲撃したため、軍が掃討作戦を行ったと説明し「一部で不相応な力を行使した」として、無関係の民間人が死傷した可能性を認めたがジェノサイドではないとし、国内の司法問題として国際司法裁判所が審理する問題ではないと主張した。
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逸話・評価
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童子の頃、瓦の屑と鶏卵を混ぜて小さな「鄭玄の碑」を作り、その文の美と書の精を称えられたという。十歳くらいの時に瓦棺寺で描いた画を見た王長史という人は「この子は絵がうまいというだけでなく将来大きな名声を上げるだろう。自分でそれを見ることができないのが恨めしい」と。南朝斉の謝赫は戴逵の画を評し「情韻綿密、風趣巧抜」という。権力者に屈しないだけの気骨があり、太宰・武陵王司馬晞が琴の腕前を聞いて召そうとした時は、使いの面前で琴を打ちこわし「戴安道は王門の伶人とはならない」と言った。謝安が初めて戴逵と会った時、謝安は相手を軽く見て琴と書を論ずるだけにしたが、戴逵がその無礼を咎めることなく論ずるところが精妙であるのを聞いて謝安はその人物の大きさに服したという。
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