通信網の復旧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 22:17 UTC 版)
第二次世界大戦末期および終戦時、警察通信(有線・無線)は寸断された。 「終戦時においては警察通信のみならず、国内のすべての通信施設が大いなる破損、損傷を受け、残存施設といえども長期にわたる戦時保全の不完備から、殆んどその用を弁ぜず、その復旧に要する資金、資材、要員などの調達は容易ではなく、急の間に合わなかった。一面、終戦直後の異常なる国内治安を安定せしめねばならぬ絶対要望におかれた警察としては、この通信連絡の復旧、整備は愁眉の急に迫られたのである」 このころ、通信の確保のために伝書鳩の利用を試みた記録が残っている。 「昭和20年7月12日付伝書鳩飼育係が発令された。(辞令留より)。 (事例内容中略) 当時、県警察部には無電の施設がなかった。本土空襲が本格的に激化するに従って、有線通信の危険が多くなってきた。無電施設も爆撃にあえば一たまりもない。ここに至って、鳩の帰巣性を利用した伝書鳩を使うことになって、飼育係が任命された訳であった。しかしその実際に使用したか否かについては、県内官庁の疎開をみるに至らずして終戦を迎えたことで推察されよう。」 「終戦の翌月、海軍艦政本部の石原大佐が通信院電波局の綱島企画課長を訪れ、海軍が解体されるにあたり日本の復興に役立つことをしたいとの申し入れにより打ち合わせの結果、「国内における混乱とそれによる惨禍を未然に防ぐためには、軍隊のないあとは、警察力による治安維持を強化する以外に方法はない。しかし連絡上必要な警察通信網はほとんど寸断されており、復旧の見通しもつかないので、海軍の無線施設を警察に移して急速な通信網を作りこれに対処すること」という結論に達した。この基本方針に基づいて協議の上、1. 旧海軍の機械をもって全国の警察部に無線を設置する。2. 周波数は電波局が考え、工事は通信院工務局及び各地の逓信局が担当する。3. 通信士は海軍が供給し、1週間をめどに完成させる。ことを申し合わせ、直ちに設置に着手した。このようないきさつから海軍の無線が警察に移され、危機に直面した国内治安の維持に貢献することとなった。(日本電電公社中央電気通信学院高等部長鈴木清高、昭和31年警察通信36号終戦秘話による。)」 このことは以下の記録と符合する。 「昭和20年9月28日 短波無線通信により九州各県無線局と連絡設定」 「昭和20年10月15日 東京内務省無線局から全国警察無線宛一斉放送開始」、「開設時からしばらくの間は、内務省関係電報の全部を取り扱ったが、逓信省通信網が整備されてきた(昭和)21年末頃からは、警察関係電報のみを取り扱うことになった。」 機材と人員を旧日本海軍から受け入れたことにより警察無線は直接、間接的にその影響を受けることとなった。陸軍ではなく海軍の機器・人員が用いられた理由として、陸軍は海軍と比べて有線通信が無線通信より重要視されていたことが影響している。海軍は自ずと無線通信を必要としたが、陸軍は比較的新しい技術の無線よりも従来からある有線通信を重要視していた。 当時の通信は電信のみであり音声通話ではなかったが、「終戦直後の半身不随の有線電話の代行施設として拙速的に施設され」たことにより、戦後の復興に大きく貢献した。 「国家地方警察無線は、終戦海軍の放出機材を転用し、急速に発達したもので、昭和21年3月には、大体、中短波の周波数を使用する全国的な無線電信網が一応構成されたのであるが、その後警察法の施行に伴う警察機構の整備と戦後の混乱した社会情勢に対応する警察活動の活発化に伴って、通信施設の整備拡充が警察内部のみならず連合軍総司令部関係方面よりも強く要請せられた」 音声通話による無線通信の実用化は昭和25年までなく、電信のみによる通信および一斉放送が続いた。一斉放送時に使用された相手先呼び出し識別符号は「ウミ」であった(昭和26年(1951年)6月15日指定)。 「警察に通信課が設けられたのは昭和21年12月27日で、それまでは内務省警保局警務課の通信係であった」
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