通信網と部隊名の変遷
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柏無線送信所開設当時、首都圏にはアメリカ陸軍通信軍団(U.S. Army Signal Corps)の二個通信大隊が駐留していた。一つはキャンプ座間(神奈川県座間市)に本部を置いていた日本通信役務大隊(Japan Signal Service Battalion)で、アメリカ極東陸軍(AFFE)の下で国内の陸軍施設間を繋ぐ通常の通信任務を担当していた。もう一方の極東軍通信役務大隊は、陸・海・空三軍の統合軍(Unified Command)だったアメリカ極東軍司令部に関する通信や、ACANの運用を中心とした海外との長距離通信を主に担当しており、1955年(昭和30年)には部隊の名称を「信号海外通信大隊」(Signal Overseas Communications Battalion)に変更した。 1957年(昭和32年)6月に発表された日米両首脳の共同声明に基づいて、アメリカ国防総省は同年8月、日本に駐留する地上戦闘部隊の撤退を発表し、翌1958年(昭和33年)2月8日の撤退完了とともに、日本国内におけるアメリカ陸軍の兵力規模は大幅に縮小した。また、この間にアメリカ極東軍が解隊し、新たに在日米軍(USFJ)が創設されたことから、従来のアメリカ極東陸軍は在日米陸軍(USARJ)に改編されていた。このような背景から、日本通信役務大隊と信号海外通信大隊は合併し、通信任務全般を管轄する「在日米陸軍信号通信局」(U.S. Army Signal Communications Agency, Japan, USASCAJ)を編成してキャンプ座間に本部を置いた。これによって、信号海外通信大隊に所属していた部隊のうち、キャンプ・ドレイクの本部中隊、柏の送信中隊、大和田の受信中隊は「ACAN施設」(ACAN Facility, USASCAJ)という名称に変更した。 1960年(昭和35年)、在日米陸軍信号通信局は従来の任務を拡大して通信機器や関連部品の供給も行うようになり、この年、ACANはその名称をSTARCOM(Strategic Army Communications)に変更した。また、これに倣ってACAN施設各隊も「STARCOM施設」(STARCOM Facility, USASCAJ)へ名称を変更した。同時に、柏無線送信所はアンカレッジ、サンフランシスコ、ハワイ、クラーク空軍基地(フィリピン)に置かれていたSTARCOMの一次中継局(Primary Relay Station)と、シアトル、沖縄、台北、ソウルに置かれていた主要中継局(Major Relay Station)に向けて送信を行うようになった。さらに5月12日にはアメリカ国防通信局(DCA)が創設され、大統領、国防長官、国務長官といった要人及び合衆国連邦政府諸機関と、統合参謀本部(JCS)や軍司令部の間を結ぶ新たな国際長距離通信網として、DCS(Defense Communications System)が発足した。 翌1961年(昭和36年)3月、STARCOMはDCSの一部として統合され、国防通信局の統制下に置かれることになった。また、中央工業地区に置かれていた中継局はこの年、ノースキャンプ・ドレイクの898号棟(通称・リトルペンタゴン)へ移転した。この建物は1958年(昭和33年)からアメリカ国家安全保障局(NSA)の指揮下で、陸軍保安局(ASA)、海軍保安群(NSG)、空軍保安サービス(AFSS)といったアメリカ三軍の諜報部隊がCRITICOM(Critical Intelligence Communications)と呼ばれる専用線の合同通信中継センター(JCRC-J)として運用しており、従来は中継局以外の施設で行われていたメッセージの暗号化作業も同一の建物内で行われるようになった。一方、柏無線送信所は4月19日、旧行政協定に替わって新たに締結された日米地位協定の第2条規定によって、施設の名称が柏通信所へと変更され、翌1962年(昭和37年)12月13日には、日米合同委員会施設分科委員会の会合で、在日米軍側の代表からオペレーションエリア周辺の共同使用地区を立入禁止とする使用条件変更要求が提出された。 1963年(昭和38年)、在日米陸軍信号通信局は任務の一部を縮小し、「在日米陸軍通信軍団」(U.S. Army Signal Command, Japan)に組織を改編した。翌年、国防通信局の中期計画に基づいて決定されたDCS関連施設の整理・統合策として、アメリカ太平洋軍(PACOM)の管轄地域内における陸・海・空軍の通信環境を国や地域ごとに一つのシステムへ集約することになり、その結果、ハワイとグアムは海軍、沖縄と台湾は陸軍、日本とフィリピンは空軍の通信システムへそれぞれ一本化されることになった。この措置に基づいて、在日米陸軍通信軍団は長距離通信任務を在日米空軍へ引き渡したため、柏通信所も陸軍から空軍へ移管されることになった。
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