評価の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:19 UTC 版)
多くの新機軸があったが、実用とするにはまだ問題を抱えていた。水が沸騰し蒸気が一定の圧力をかけるまでに時間を要したので、車の始動には時間がかかった。燃料と水はすぐになくなった。水の補充のために15分毎に停車する必要があった。さらに、その後の再始動にまた時間を要した。エンジンの再稼動をおよそ12分から15分置きに何度もおこなわなければならなかった。傾斜面では蒸気圧が弱くなり力が弱まってしまった。同乗者は、車両に同乗するのではなく、その重量の為に、車両を押して手伝う役割だった。これは馬と比べても欠点となった。また、キュニョーはブレーキの問題を解決できなかった。ブレーキをつけたが単純なもので、重量物運搬には現実的でなかった。車両の最大時速は(記述によって異なるが)8キロから10キロ。この速度は100年後の19世紀後半にパリで商用走行していた蒸気バスの平均速度と同じである。しかし、15分進んでは燃料補給のために停車が必要であり補給とボイラー圧回復までに15分程停車した。そのため試運転時の報告記録としては一時間に4キロから5キロと記されている。これは最高時速ではなく平均時速ということになる。科学的見地からは成功であり重い荷物を運搬する機械としても疑いのないものだったが、決定的だったのは、重量物運搬は問題なかったが、移動速度が時速3.5キロから4キロというこの車両は大砲の牽引という当初の目的である馬を置き換えるものとはならなかった。最終結論はだされず、また、以後の改良もなされなかった。1770年の車両は馬を置き換えることはなかった。 この車の試運転に関して議論があるが、支援したグリボーバルを除いては、キュニョーの発明品は当時の科学者グループや砲兵隊の他の役人からは評価されていなかった。評価しなかった例として当時影響力ある地位にいた砲兵隊准将であったサン=オーバン (le général Marquis de Saint-Auban) の評価があげられる。1779年5月1日の軍事政治新聞(『軍と政策ジャーナル』)に掲載されたサン=オーバンの手紙はキュニョーの発明を不評と総括している。「発明マニアの彼はまったく信じがたいことをおこなった。火を使った機械でピストンポンプを動かし、武器輸送用の車や馬を置き換えるものと主張した。その幻想はもう一台試作車を作るよう要請された。試運転が何度か公開されておこなわれ、大砲輸送を効果的におこなうことが期待されていた。定期刊行物や公的記述でこの事実が書き記されていなかったなら、パリ工廠の作業所に保管されていなかったなら、これを想像することは困難なことだったと思われる。これが使い物にならないと判断されたことは賢明なことだった。大型運搬具で長い荷台と大型車輪がついていた。外部から力を供給されるのではなく自身に火室、ボイラー、ポンプ、ピストンを備え、重量はおよそ2.5トンあった。発明者の名前はキュニョーでパリ=ヴァンサン間を移動した。しかしボイラーが小さすぎたため幾度か、6500 l.p.ずつ補給した。単純な大気圧での動作であった……」評価されていないもうひとつの例として1837年からCnamの教授となったアルチュール・モラン (Arthur Morin: 1795–1880) が1851年の研究で「キュニョーの蒸気エンジンは機能しなかった。なぜなら、このボイラー内では火がつかない。燃焼部のベース部分の格子が0.22mしか高さがないため。」という意見を述べている。その後も多くの技術者がこのボイラーについて述べている。『条件はいいものではなかったが、火がついたことはついただろう。ただし、継続したかどうかは疑わしい』というものもある。 時が流れ、キュニョーに対する長かった審判について、現在では道路上をエンジンという動力を使ってトラクションで移動する時代に導いた功績があると認められている。20世紀はじめにフランス陸軍の機動化を自身の発明で推進した人物フェリュス (le commandant Ferrus) がキュニョーの車を詳細に調べ、上記のサン=オーバン侯爵の例のようにだれもが将来の新型機械について最終決断をくだすことができなかったと『砲兵器の調査 (“Revue de l’Artillerie”)』で記述している。自動車歴史家のピエール・スーヴェストル (Pierre Souvestre: 1874-1914) は、キュニョーについての1906年の著作 “Le Poids Lourds” (重量トラック) を記し、キュニョーの再評価をおこなった。
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