評価の見直し1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 15:16 UTC 版)
「ヨハン・フィリップ・ライス」の記事における「評価の見直し1」の解説
1861年10月、フランクフルトの物理学会で、初めて公にプロトタイプを公開した。彼のプレゼンテーションのタイトルは「ガルバニック電流の仲介による任意の距離での音の再現について」であった。その後、学会の年次報告書1860年から1861年に、ライスの科学技術レポートが掲載された。1862年、フランクフルトにある王立プロイセン電信兵団、第八インスペクター長ヴィルヘルム・フォン・レガートが装置の実演をみてから注目し、科学雑誌に記事を掲載した。しかし、科学的な名声の無い出版物であったため評判は芳しくなかった。 1863年9月6日、フランクフルトのゲーテハウス(英語版)でのオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を前にしたデモンストレーションでライスの電話から音楽が流された。このイベントによって、電話の評価が再評価されることとなった。これらの成果に励まされ、大幅な改造を行い科学実証機を大量生産し世界的に8-12ターラーで販売し、世界的に名前は知られることとなったが失敗した。
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