評価の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 06:11 UTC 版)
『孟子』は元々経書としての地位を与えられていなかった。『漢書』芸文志では『孟子』は経書ではなく諸子百家のうちの儒家者流に含められ、漢代においては『荀子』と比しても評価が低かった。漢文帝は『論語』・『孝経』・『爾雅』と共に『孟子』を「伝記」の一つとして博士を置いたが、後に除いた。 唐代に入ると韓愈や柳宗元の功績により評価が高まった。五代十国時代の後蜀の皇帝である孟昶(もうちょう)は、石経に『孟子』を含めた。これはおそらく『孟子』を真の経書の範疇に含めた最初の例である。 北宋では王安石が『孟子』を科挙の科目に加えたが、これに反発して司馬光の『疑孟』も作成された。南宋の孝宗の統治時代、朱子学の祖である朱熹により四書(『論語』・『孟子』・『中庸』・『大学』)に列せられ、以来重視される。明朝・清朝に至るまで、『孟子』は科挙試験の題材であった。
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