評価の変化・内容の改変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 03:51 UTC 版)
「かちかち山」の記事における「評価の変化・内容の改変」の解説
質素倹約を旨とした徳川吉宗は、武士の通う藩学だけでなく武士以外の通う寺子屋の教育内容も儒教的な道徳を取り入れるよう指導し、『六論衍義大意』という、今でいう教科書のようなものを配布したりもしている。勧善懲悪の『桃太郎』なども、村から財宝や娘を盗んだ鬼であるにもかかわらず、鬼は何も悪くないのに成敗されたとして鬼に感情移入してしまう読み方があるが、同様に、かちかち山においてもウサギに懲らしめられるタヌキが気の毒であると読む人もいる。そこで、江戸時代には、タヌキに同情すべきところはないとするために、タヌキが懲らしめられるシーンの一部を削ったものが存在する。江戸時代後期の帆足万里は『記翁媼事』で、第三部のうちタヌキが火傷をさせられるシーンを省いている。媼を殺して翁に媼入りの羹(とろみのあるスープのこと)を食べさせてまんまと逃げたタヌキ、それに続くのは、タヌキがケガをして寝込んでいたらウサギが医者としてやってきた、というシーンである。「かちかち山」の題名の由来になるはずの火打石でかちかちという行動も台詞も、もちろんまったくない。 そうした「悪人を悪人として描く」ための江戸時代にはすでにあった改変とは別に、遅くとも戦時中までには、他の昔話でもそうなのであるが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現代的な基準[要出典]において「残酷」とされるシーンを割愛あるいは改変した出版がなされるようになった。例えば、老婆は殺されずに重傷を負って一時的な寝たきりとなっていたり、あるいは最後のシーンでウサギもタヌキの命までは取らない(その場合はタヌキは最後に改心する)などとなっている。 なお、かちかち山の後にぼうぼう山となっている所が多い中、「ぼうぼう鳥の啼き声」だとする物語もある。
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